だれが主の家を建てるのか
17. だれが主の家を建てるのか
【聖書箇所】Ⅰ歴代誌 17章1~27節
ベレーシート
- この17章は、ダビデ契約と言われるきわめて重要な契約が記されています。しかも、この契約は無条件的な契約です。
1. ダビデ契約における人称を明確に理解する
- ダビデは自分が立派な杉材の家に住んでいるのに、神の契約の箱はダビデが設けた天幕の中にありました。ですからダビデはおそらく良心が痛んだのがもしれません。自分の家と同じような主のための家を建てようと考えました。そこで、預言者ナタンに相談したところ、「あなたの心にあることをみな行ないなさい。」と言われました。ところが、その夜、神のことばがナタンにあり、ダビデに告げるように語られたのです。その内容の幹はこうでした。
【新改訳改訂第3版】Ⅰ歴代誌17章
4 ・・あなたはわたしのために住む家を建ててはならない。
10・・・わたしはあなたに告げる。『【主】があなたのために一つの家を建てる。』
11 あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちのもとに行くようになるなら、わたしは、あなたの息子の中から、あなたの世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。
12 彼はわたしのために一つの家を建て、わたしはその王座をとこしえまでも堅く立てる。
13 わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。わたしの恵みをあなたの先にいた者から取り去ったが、わたしの恵みをそのように、彼から取り去ることはない。
14 わたしは、彼をわたしの家とわたしの王国の中に、とこしえまでも立たせる。彼の王座は、とこしえまでも堅く立つ。」
- この聖書箇所の平行記事であるⅡサムエル記7章では、この「彼」がソロモンであるとしていますが、Ⅰ歴代誌17章ではソロモンではなく、メシアを強調しています。Ⅱサムエル記では「もし彼が罪を犯すときは、わたしは人の杖、人の子のむちをとって彼を懲らしめる」という部分がありますが(Ⅱサム7:14)、この部分はⅠ歴代誌では削除されています。それゆえⅠ歴代誌の「彼」は、罪を犯すことなく、神の家を建てるメシアであることが分かります。
- 以上のことを整理すると、
Ⅱサムエル記7章
(1) 「わたし」・・神ご自身
(2) 「あなた」・・ダビデ
(3) 「彼」・・・・ソロモンⅠ歴代誌17章
(1) 「わたし」・・神ご自身
(2) 「あなた」・・ダビデ
(3) 「彼」・・・・メシア
2. ダビデ契約の特徴
- Ⅰ歴代誌17章の「ダビデ契約の特徴」をまとめてみると以下のようになります。
(1) ダビデが主の家を建てるのではなく、主がダビデのために家を建てること
(2) 主はダビデの世継ぎの子(=彼)を起こし。その彼が永遠の家を建てること
(3) ダビデの家系と王座と王国はとこしえに確立されること
(4) 「わたし」と「彼」とは、「父」と「子」の関係であること
(5) 無条件的契約であること
- ここで興味深いことは、
「父」は「アーヴ」(אָב)、
「子」は「ベーン」(בֵּן)、
「家」は「ベート」(בֵּית)、
「建てる」は「バーナー」(בָּנָה)
で、これらのヘブル語の中に深い秘密が隠されているということです。「家を建てる」ということは、神の「王座」と「王国」が堅く立てられることを意味します。この箇所には出てきませんが、その建て上げには、「父」と「子」が堅く「信頼して」(「べタハ」בֶּטַח)いることです。
3. 「千年王国」の到来はダビデ契約の成就
- ダビデ契約が完全に成就するのは、キリスト再臨後に訪れる「千年王国」においてです。千年王国において、王なるメシアはエルサレムにあるダビデの王座に着き、そこから全イスラエルと異邦人諸国の民を、王として統治されます。
(1) 詩篇2篇6節
「しかし、わたしは、わたしの王を立てた。わたしの聖なる山、シオンに。」(2) イザヤ書9:6~7節
6 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
7 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の【主】の熱心がこれを成し遂げる。(3) ゼカリヤ書14:9
【主】は地のすべての王となられる。その日には、【主】はただひとり、御名もただ一つとなる。
(※ここは、メシアは全世界の王であり、すべてがメシアを唯一の神として認めるようになるという預言です。)●他にも、イザヤ書16:5、エレミヤ書23:5~6、33:14~17、ルカ1:30~33なども参照。ダビデ王国の王座にメシアが到来して、その座に着き、全世界を統治する預言は他にも数多くあります。しかもそれは、文字通り起こるのです。
4. 「ダビデ的メシアによる王国」と「主の祈り」との関係
- イェシュアが弟子たちに教えた「主の祈り」は、イェシュア自身が常に祈っていた祈りです。その祈りの内容は、「子」が「父」に向かって祈っている祈りであり、天と地において父のみこころが一つになることなのです。これは千年王国においてはじめて実現する祈りです。地上におけるメシア王国が実現することを正しく理解して祈るならば、「主の祈り」は大きな慰めと希望を与え、今を生きる力となり得ると信じます。
- ただ懸念することは、暗唱し、しかも共同で唱えることで、その祈りが意味することについて思考停止してしまうことです。その祈りの真意を掘り起こされることなく、礼拝などで、あるいは集団の中で唱える機会が増すことで、思考停止が当たり前になってしまうことです。特に、この「主の祈り」は御国の福音の中で理解されるべきです。そうでなければ、この「主の祈り」の真意は依然と封じられたままであるということです。
2014.1.17
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