わざわいを思い直された神に対するヨナの怒り
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8. わざわいを思い直された神に対するヨナの怒り
ベレーシート
- ヨナ書4章を二回に分けて瞑想します。今回はその一回目です。ニネベの町の人々が悪の道から立ち返ったことで、神が下そうとしていたわざわいを思い直されました。それによるニネベの人々の喜びなどは一切記されていません。むしろ、神がわざわいを思い直したことが、ヨナを非常に不愉快にさせ(「ラーア」רָעַע)、怒らせた(「ハーラー」חָרָה)ということに本書は注目させようとしています。
【新改訳改訂3】 ヨナ書4章1節
ところが、このことはヨナを非常に不愉快にさせた。ヨナは怒って、
【新共同訳】
ヨナにとって、このことは大いに不満であり、彼は怒った。
【口語訳】
ところがヨナはこれを非常に不快として、激しく怒り、
【ATD訳】
そのことはヨナをひどくいらだたせ、彼は怒った。
1. 「怒り」についての語彙
- 旧約聖書で「怒った」という動詞の語彙を調べてみると7個見つかります。使用頻度の多い順から並べると以下のようになります。
(1) 「ハーラー」94回・・(חָרָה)
●この動詞は他の「怒り」に比べて、レヴェルが高いようです。「ハーラー」の本来の意味は「燃える」で、「燃えるような怒り」「ひどく怒る」というニュアンスで、聖書の初出箇所はカインが主に対して「ひどく怒り、顔を伏せた」とする箇所です(創世記4:5)。主はカインに対してなぜ怒るのかと問い、その怒りを治めるべきだと語りかけますが、その制止を無視して弟のアベルを殺してしまったほどの「怒り」「憤り」でした。●ヨナ書4章の1節、2節、9節にもこの「怒る」という動詞が使われています。
(2) 「カーアス」55回・・・(כָּעַס)
●初出箇所は申命記4章25節で、主は「ねたむ神」であるゆえに、偶像を造ったりした場合に主の御怒りを買ってしまう、そのような怒りです。
(3) 「カーツァフ」35回・・・(קָצַף)
●初出箇所ではエジプトの王が自分のしもべたちに対して怒っています(創世記40:2)。モーセも神の民に対して怒っています。
(4)「アーレーフ」15回・・・(אָרֵךְ)
●初出箇所は出エジプト記34章6節ですが、「主は、あわれみ深く、情け深い神。怒るのにおそく・・」という定型句で使われ、ヨナ書でも同様な形で4章2節で使われています。「怒りにおそく」ですから、いわば、忍耐づよいことを意味します。
(5)「ザーアム」12回・・・(זָעַם)
(6)「ハーラル」 9回・・・(חָרַר)
(7)「バーナス」1回・・・(בָּנַס)
2. 怒りの論理(メカニズム)
- 神に罪を赦されたクリスチャンたちが、「神を許さない」などということはあり得ないと思っているとすれば、それは大きな誤解です。ヨナやカインのように神を許せない者もいるのです。あるいは、二人の息子を持つ父のたとえ話(「放蕩息子のたとえ」とも言われますが)の中に出てくる兄のように、父を許せない者たちもいるのです。自分が信じている善悪の基準とは異なっているという理由で、神や父のすることに対して受け入れることができないのです。このような人の怒りを静め説得することはとても難しいと言えます。
- ヨナの怒りは、彼の考え方(=神学)が神と対立したことによって引き起こされたと考えられます。ヨナの神学とは、神がイスラエルの民を愛し、その選ばれた民に対してあわれみを与えられるというもの、そしてその特別な愛は、異邦人、とりわけニネベの人々のような悪しき異邦人に向けられるべきではないというものです。ところが、神がその異邦人ニネベを愛しているように見えたのです。これはまさに放蕩三昧の限りを尽くして帰ってきた弟を父が快く歓待している姿を知って嫉妬した兄の妬みと同様です。愛の見解が引き起こした嫉妬による怒りだったのです。
3. (怒るのにおそい)忍耐深い神
- 開拓伝道を始めてから三、四年経た頃に、私はある姉妹を叱りつけたことがありました。それは毎週の礼拝にいつも大幅に遅刻して来たからでした。当時の私は、できるだけ早期に教会が経済的にも、また信仰的にも自立できるようにと願っていました。いつも遅刻するようでは、新しく来られた方に対してあかしができないという考えが私の心にあったからです。その姉妹は私が怒ったことで教会に来なくなってしまいました。私は長い間、自分は間違ってはいないと確信していました。しかしそれは「怒るのに遅く、忍耐深い神」に、私がついて行けなかっただけのことでした。あかしができないというのは、彼女の問題というよりは、私の問題だったのです。
2015.5.23
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