サウル王とダビデの運命的な出会い
サムエル記の目次
13. サウル王とダビデの運命的な出会い
【聖書箇所】 16章1節~23節
はじめに
- 16章には、神が王として選んだダビデへの油注ぎと、ダビデとサウル王との不思議な運命的の出会いについて書かれています。サウル王は当初ダビデの弾く立琴によって何ども心がいやされますが、やがてダビデに対する妬みにより自分が苦しむようになります。一方のダビデは、サムエルによって油注ぎを受けますが、イスラエルの王としてふさわしく整えられるために、サウロの存在は反面教師としての役割を果たします。まさに二人の運命的出会いは神によるものでした。
1. サウルとダビデの不思議な出会い
- さまざまな出会いがあるなかで、サウルとダビデの出会いは、サウルの家来の一人がダビデを紹介するという形で実現しています。しかも、その出会いは人には見せられないサウルの内面にある精神的な病という場でダビデが音楽療法によって深くかかわるところの出会いでした。この二人のかかわりを公にすることはできなかったはずです。つまり、公の場所では二人は個人的に「知らない者同士」だったのです。17章58節はそのことを表しています。
- サウルは自分の心の病がダビデの弾く竪琴の音によってしばしば癒され、心に安らぎ、気分も良くなったようです。サウルはこのダビデを「非常に愛し」(16:20)、「気に入った」とあります(16:22)。ダビデはこのサウルに仕える者となったのです。
2. ダビデの上に激しく下った主の霊
- 16章13節に「主の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った。」とあります。「その日以来」とは、「ダビデがサムエルによって油注がれた日以来」という意味です。「激しく下った」と訳されている動詞は「ツァーラハ」(צָלַח)の未完了形で、新共同訳のように「主の霊が激しく降るようになった」という意味です。つまり、これからもそれが完了することなく継続していくことを意味しています。
- サウルの場合も「主の霊が激しく下る」ことをサムエルから言われ、またそうした経験をしたことが記されています(1サム10:6, 10/11:6)。主の霊が激しく下るとどうなるのか。それは「新しい人になる」、「別人のような人になる」ということです。つまり、その人の中に神のカリスマ性を感じさせる存在となるということです。それゆえ、「主の霊が激しく下った者」は神のみこころを成し遂げる存在となっていきます。「激しく下る」と訳された「ツァーラハ」」(צָלַח)は旧約で69回使われていますが、「成し遂げる、成功する、成功させる、栄える」という意味を持っています。
- したがって、「主の霊」がその人を離れると、逆に「わざわいの霊」がその人を支配するようです。サウルの場合がそうでした。16章では「主の霊」が激しく注がれたダビデとそれを失ったサウルが、はからずも、最も接近した形で出会っているのです。神の不思議な摂理としか言いようがありません。
3. ダビデのプロフィール
- 16章には、サウルに代わる王として登場する「ダビデ」(דָּוִד)のプロフィールが紹介されています。
(1) ベツレヘム人エッサイの息子で8人兄弟の末っ子
(2) 立琴の名手
(3) 羊飼い
(4) 勇士、戦士
(5) ことばに分別がある
(6) 体格が良い
(7) 主がともにいることを感じさせる(カリスマ性を感じさせる)
2012.6.12
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