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ソロモンの祈り

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30. ソロモンの祈り

【聖書箇所】Ⅱ歴代誌 6章12~42節

ベレーシート

  • ソロモンが神殿を完成し、その奉献のためにささげられた祈りが記されています(12~42節)。ソロモンはイスラエルの全集団の前で神殿奉献に至るまでの神の歴史を想起し(出エジプトから神殿奉献に至るまで)、父ダビデとエルサレムを選びつつ、ソロモンを通して神殿が建てられたことを述べます。
  • ソロモンは長さ5キュビト、幅5キュビト、高さ3キュビトの青銅の足台を神殿の中庭に据え、その上でひざまずいて、両手を天に差し伸べて祈りました。青銅の祭壇の規模は長さ20キュビト、幅20キュビト、そして高さが10キュビトです。10キュビトは約4.3メートルです。かなり高いという印象です。それに比べて、ソロモンが祈った台の高さは3キュビト(約1.3メートル)ですから、かなり低い台です。祈りの姿勢のみならず、台の高さによっても、神への謙遜さをソロモンは表わそうとしたのかも知れません。ちなみに「5」という数は、人間を表わす数字です。
  • 神殿こそは全イスラエルの中心です。そこは、神と人とが出合う所としての「神の家」(「ベテル」בֵּית־אֵל)であり、天に通じる門です(創世記28:16~19)。ソロモンが神殿奉献の時に何を祈ったのかを見てみたいと思います。ちなみに、ソロモンが祈った祈りは、すべて聞かれることになるのです。

1. ソロモンの祈りにおける「神の呼称」

①「イスラエルの神、主」(14, 16, 17節)
②「私の神、主」(19, 40節)
③「神、主」(41, 42節)
●祈りが進むと次第に神の名称が簡略化されています。


④「あなたご自身」(23, 25, 27, 30, 33節)
●この訳は新改訳聖書のみです。原文は「あなた」を意味する独立代名詞2人称男性単数の「アッター」(אַתָּה)が使われています。


2. ソロモンの自己人称

●ソロモンが神に対して自分のことを言う場合には、「あなたのしもべ」(「アヴデハー」עַבְדְּךָ)と言っています(15, 19, 20, 21節)。

●ソロモンの父ダビデについては、「あなたのしもべダビデ」と言っています(15, 16, 17, 20, 21節)。

●イスラエルの民については「あなたのしもべたち」(「アヴァーデーハー」עֲבָדֶיךְ)と言っています。


●ソロモン自身のみならず、および父ダビテとイスラエルの民たちも、すべて「しもべ」(「エヴェド」עֶבֶד)という概念が貫いています。つまり、神の代理者でしかないという意味ですが、聖書においてはこの「神のしもべ」は最高の称号なのです。モーセ、アブラハムも神からこの称号で呼ばれています。預言者イザヤは「しもべの歌」をもってメシアの来臨を預言しています。神の御子イェシュアこそ真の「神のしもべ」であり、他はすべてその「型」と言えます。


3. ソロモンのとりなしの祈り

  • ソロモンはやがて民たちが遭遇するであろうさまざまな状況を察して祈っていますが、その中で最後の状況は重要です。同義的パラレリズムによって、強調した祈りの内容になっていからです。その祈りとは以下にある、民が「捕囚」となった時の祈りです。

【新改訳改訂第3版】Ⅱ歴代誌6章36~39節
36 彼らがあなたに対して罪を犯したため──罪を犯さない人間はひとりもいないのですから──あなたが彼らに対して怒り、彼らを敵に渡し、彼らが、遠くの地、あるいは近くの地に、捕虜として捕らわれていった場合、
37 彼らが捕らわれていった地で、みずから反省して悔い改め、その捕囚の地で、あなたに願い、『私たちは罪を犯しました。悪を行って、咎ある者となりました』と言って、
38 捕らわれていった捕囚の地で、心を尽くし、精神を尽くして、あなたに立ち返り、あなたが彼らの先祖に与えられた彼らの地、あなたが選ばれたこの町、私が御名のために建てたこの宮のほうに向いて祈るなら、
39 あなたの御住まいの所である天から、彼らの祈りと願いを聞き、彼らの言い分を聞き入れ、あなたに対して罪を犯したあなたの民をお赦しください。


●「捕らわれていった地で」で始まる37節と38節が、同義的パラレリズムとなっています。前者は「みずから反省して悔い改め」こと。後者は「心を尽くし、精神を尽くして、あなたに立ち返る」こととなっています。「悔い改め」も「立ち返り」も、いずれも「シューヴ」(שׁוּב)が使われています。


●その祈りの中にある「捕虜として捕らわれていった場合」とは、やがて、北イスラエル王国の10部族がアッシリヤによって捕囚となること、また南ユダ王国がバビロンによって捕囚となること現実となりました。そのような状況に陥った時に、彼らがその捕囚の地で「悔い改め」、主に「立ち返り」、主の神殿の方に向いて祈るなら、「彼らの言い分を聞き、彼らの罪をお赦しください」ととりなして祈っていることです。

●この祈りは、バビロンの捕囚となった南ユダ王国に関してはすでに実現しました。しかし、北イスラエルの王国の人々においては、いまだ実現していません。神のみこころはこの二つの杖が一つになって回復することです。それはこれからのことです。ソロモンの祈りは「すでに聞かれました」が、「いまだ聞かれていない」のです。


2017.4.8


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