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ダビデの町シオンから主の契約の箱を運ぶ

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29. ダビデの町シオンから主の契約の箱を神殿に運ぶ

【聖書箇所】Ⅱ歴代誌 5章1節~6章11節

ベレーシート

  • Ⅱ歴代誌5章のメインイベントは、主の臨在を象徴する「契約の箱」がダビデの幕屋のあったシオン(エルサレムの南端)から北側に建てられた神殿に移されたことです。
  • 主の宮が完成した(שׁלם)ことは、新たな始まりでもあります。この後に神殿で用いられるすべての器具類が運び入れられ、神の宮の宝物倉に納められました。そして「契約の箱」は、祭司たちとレビ人たちによって、最後に、定めの場所である至聖所のケルビムの翼の下に運び入れられました。この順序はモーセの幕屋の時とは逆です。このことは、キリストが「最初であり、最後である」「初めであり、終わりである」「アルファであり、オメガである」という真理を指し示していると言えます。他にも、モーセの幕屋の時とは異なる点があります。

1. 契約の箱の中身について

  • Ⅱ歴代誌5章10節によれば、契約の箱が神殿に置かれた時の中には神の律法の二枚の板しかありませんでした。マナの金のつぼ、アロンの芽の出した杖はどこかへ行ってしまっていました。そして神の律法を書き記した石の板だけが残っていたのです。

(1) なぜ、マナの入った金のつぼがなかったのか

そもそも、マナはイスラエルの荒野でのつぶやき(不信仰)の結果、与えられたものでした。マナは荒野での食べ物でしたが、カナンの地に入ってからは、地の産物を食べるようになりました(ヨシュア5:12)。やがて到来することになる天の御国においては、勝利を得る者に約束されている「隠されたマナ」があります(黙示録2:17)。それは永遠のいのちを意味しています。またそれは、「いのちの木になる実」(黙示録22:1~2)でもあります。

{(2). なぜ、アロンの芽を出した杖がなかったのか

アロンの芽を出した杖もまた、イスラエルの荒野でのつぶやきの結果でした。神は芽を出すという印によってアロンの祭司制を確認されました。しかしキリストはそのアロンの祭司の系譜ではなく、メルキゼデクの系譜にあり、終わりのないいのちの中に生きておられます。メシア王国に入るすべての人のためには、芽を出した杖は必要がないことを指し示しています。キリストの祭司制は、復活と昇天の事実によって永遠に確立されるからです。

(3) 律法の記された石だけがあった

律法だけが契約の箱の中に入っています。神の律法は聖なるものであり、しかも良いものです。主の律法は完全であり、それは愛と愛の従順による永遠の律法、御国の律法です。やがてメシア王国においては、愛の律法、神への愛、そしてお互いの愛を守ることになります。すべての他の律法は愛の律法の中で成就されます。自我は律法を守ることができません。メシア王国ではすべてのものが王国の律法(愛の律法)を知り、キリストがなされたように心で完全に守るようになるのです(ヘブル8:10~12、詩篇40:8、ヘブル10:7、申命記10:5、31:26)。


2. 神殿の奉献式は「仮庵の祭り」の時

仮庵の祭り.JPG
  • 神殿の完成に取り掛かったのは、ソロモンの治世の第四年、第二の月の二日でした(Ⅱ歴代誌3:2)。そして七年後の第八の月に完成しました(Ⅰ列王記6:38)。そして神殿奉献するのは、第七の月ですから、完成から奉献まで十一ヶ月の期間があります。奉献の時期は「仮庵の祭り」の時です。八日間にわたって盛大に行われました。
  • 「仮庵の祭り」は主の例祭の一つですが、イェシュアの誕生、宣教開始、イェシュアの再臨の時期と重なる重要な祭りです。このことについては、「主の例祭についての預言的意味」を参照のこと。


3. 「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで」という賛美

  • 神殿奉献の時に歌われた賛美は、「アドナイ・キー・トーヴ・キー・ハスドー」です。

画像の説明

  • この賛美はすでにダビデが「ダビデの幕屋」に契約の箱をシオンに設置した時に歌われています(Ⅰ歴代誌16:34)。そしてソロモンが神殿を奉献する時にも同じ賛美が歌われています(Ⅱ歴代誌5:13、7:23)。この歌は、日本の「君が代」のように、国家としての賛美なのかもしれません。
  • この歌のフレーズは、詩篇にも6回(106:1/107:1/118:1, 29/135:3/136:1)使われています。なにゆえに、「トーヴ」(טוֹב)が先で、「ヘセド」(חֶסֶד)が後なのでしょうか。そんなことにもこだわってみたいと思います。後者の「ヘセド」は契約における神の不変の確固とした愛を表します。しかし前者の「トーヴ」は創造の時から神の本質を啓示する語彙なのです。神の「善」(トーヴ)、神の「いつくしみ」(慈恵)は、被造物(自然と人)に対する神の恩寵的かかわりの総称的概念です。神がなされるすべてのことはすべてこの「トーヴ」の中に統括することができるのです。このイメージをしっかりと把握することは、神の子としてのアイデンティティーの根を太いものにしていくと信じます。このことについては、「神学的瞑想「神の善(トーヴ)」を参照のこと。


2014.2.28


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