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ダビデ、アブネル、ヨアブ、三者三様の思惑

29. ダビデ、アブネル、ヨアブ、三者三様の思惑

【聖書箇所】 3章1節~39節

はじめに

  • ダビデが全イスラエルの王となるまでには7年半の歳月を擁しています。この期間はおそらくダビデが神の訓練として設けられた期間だと言えます。決して自ら力ずくで王となる道ではなく、あくまでも神の時に王となるために、いつとも知れないその時を、神を信頼して待つという訓練がなされています。そこにもダビデの霊性が見えてきます。
  • 様々な人の思惑の動きの中で、神のご計画は着々と整えられ、進んでいきます。特に3章は、イシュ・ボシェテを擁立してサウルの王権を継承させようとした将軍のアブネル、そしてダビデ、さらにダビデの甥であり、軍の将であるヨアブの三者三様の思惑が記されています。

1. アブネルの思惑

  • 「アブネルはサウルの家で勢力を増し加えていました。」(3:6)そんな折、イシュ・ボシェテの口から出た一言がアブネルを怒らせ、これを契機にアブネルはダビデに寝返ります。イシュ・ボシェテがアブネルに言ったことばは「あなたはなぜ、私の父のそばめと通じたのか。」という一言でした。このことが事実なのか、あるいは噂話であったのか、その真偽のほどは分かりませんが、この一言の中に、イシュ・ボシェテとアブネルとの間に大きな確執がすでにあったと考えられます。アブネルはイシュ・ボシェテを見限ったのです。
  • わずかな一言が実は歴史の流れを大きく変えていったことは否めません。サウル家とダビデ家の長い抗争は急速に終焉に向かうことになったからです。
  • アブネルはダビデにイスラエル併合の手助けをすることを提案します、彼はダビデに会う前にイスラエルの長老たちやベニヤミン族との間に根回しをしていました。おそらくイシュ・ボシェテとはやっていけないこと、やがてダビデの時代が来ることを想定しての決断だったのかもしれません。政治的な領域における人々の思惑はいつの時代においてもクリーンであるとは言えない部分を隠し持っているものです。アブネルの思惑はダビデの側でなんらかの地位を得たいという思惑があったのかもしれません。

2. ダビデの思惑

  • アブネルの提案はダビデに難なく受け入れられ、祝宴が張られ、歓迎されて協定を結ぶこととなりました。ダビデはアブネルを信用したかのように見えますが、果たしてどの程度信頼していたかはだれにも分かりません。イシュ・ボシェテを簡単に裏切った彼に対してダビデは果たして手放しで喜んだとは思われません。
  • また、有能な部下であるヨアブがアブネルを殺した後、自分がアブネルを殺して有利な立場に立ったという誤解を招かないように、国葬にし、そして哀歌を捧げています。ダビデは良い意味で民意に逆らわない道をたどっています。

3. ヨアブの思惑

  • とても重要な協定の話し合いの中に、ヨアブは出かけていておりませんでした。事の次第を知ったヨアブはアブネルを全く信用していません。協定を結んで安心して帰路についたアブネルをもう一度ヘブロンに連れ戻して殺しました。アブネルは自分の弟であるアサエルを殺した仇であるだけでなく、ダビデに信用されて協定まで結んだことで、将来、自分の地位を脅かす存在となることに恐れと不安を抱いたのかもしれません。ここで殺さなくても、二人の確執は必ずやどちらかの死を迎えることになったかも知れません。
  • ダビデは、アブネルを殺したヨアブに対して、自分の甥でもあり、軍の将でもあったので、なんら責めることはできなかったようです。さばきを下すことはできませんでしたが、ダビデはヨアブを警戒せざるを得ませんでした。
  • ダビデにとって、ヨアブは「手ごわすぎる」、口語訳「手におえない」、新共同訳「手に余る」、存在でしたが、その彼をうまく用いて親衛隊の長を務めさせたダビデの懐の広さも学ぶべきところです。

2012.7.13


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