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パウロに大きな影響を与えた人物ーアナニヤとの出会い


7. パウロに大きな影響を与えた人物ーアナニヤとの出会い(改定)

ベレーシート

● 使徒の働き9章で、「天からの光」に照らされたサウロに対して、主はダマスコに住む一人の弟子アナニヤを遣わされました。それはサウロに対する主のご計画を告げるためです。主はなぜアナニヤという弟子を遣わされたのでしょうか。その必然性は、アナニヤという人物の名前にあります。

1. サウロ(パウロ)とアナニヤとの出会い

●不思議なことですが、主の弟子たちを脅かし、殺害の意に燃えていたパウロが「天からの光」に照らされ目が見えなくなったために、彼のお付きの者たちが彼をダマスコに連れて行きました。主はダマスコにいる弟子アナニヤに対して語りかけます。主がなぜ彼を遣わしたのか、その必然性があります。

●「アナニヤ」という名前は、ヘブル名では「ハナヌヤー」(חֲנַנְיָה)となります。これは「恵む、あわれむ」を意味する「ハーナン」(חָנַן)と、「主」を意味する「ヤー」(יָה)が組み合わさった名で、「主はあわれんでくださった」という意味になります。ギリシア語表記では「アナニアス」(Ἁνανίας)となっているために、【新改訳2017】では「アナニア」に改訂されていますが、以前の訳では「アナニヤ」となっています。主がなぜ彼を遣わしたのか、それは彼の名前に必然性があります。以後、「アナニア」ではなく「アナニヤ」で記します。

【新改訳改訂第3版】使徒の働き9章10~12節
10さて、ダマスコにアナニヤという弟子がいた。主が彼に幻の中で、「アナニヤよ」と言われたので、「主よ。ここにおります」と答えた。
11 すると主はこう言われた。「立って、『まっすぐ』という街路に行き、サウロというタルソ人をユダの家に尋ねなさい。そこで、彼は祈っています。
12 彼は、アナニヤという者が入って来て、自分の上に手を置くと、目が再び見えるようになるのを、幻で見たのです。」

●主がアナニヤに語りかける前に、サウロは幻の中で、アナニヤという人が入って来て、自分の上に手を置き、再び見えるようにしてくれるのを見たとあります。これはとても不思議な幻です。自分を尋ねて来る者の名が「アナニヤ」であることを知らされていたからです。サウロにとってこの幻は預言的なものでした。ところが、主の語りかけを聞いたアナニヤはサウロのところに行くことに躊躇しています。

【新改訳改訂第3版】使徒の働き9章13~17節
13 しかし、アナニヤはこう答えた。「主よ。私は多くの人々から、この人がエルサレムで、あなたの聖徒たちにどんなにひどいことをしたかを聞きました。14 彼はここでも、あなたの御名を呼ぶ者たちをみな捕縛する権限を、祭司長たちから授けられているのです。」
15 しかし、主はこう言われた。「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。16 彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです。」
17 そこでアナニヤは出かけて行って、その家に入り、サウロの上に手を置いてこう言った。「兄弟サウロ。あなたの来る途中、あなたに現れた主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」

●当初ためらいを感じていたアナニヤに対して、主はサウロに対するご計画と使命とを告げます。このことはとても重要なことで、サウロに対する主の啓示が自分だけではなく、アナニヤという第三者にも啓示されたということです。アナニヤこそサウロに対する主のご計画と使命を示された人物だということです。彼は「律法を重んじる敬虔な人で、そこ(ダマスコ)に住むユダヤ人全体の間で評判の良い人」(使徒22:12)でした。このアナニヤという仲介者を通して、サウロは「兄弟サウロ」として教会の中に受け入れられることになったのです。サウロはアナニヤが自分のところに遣わされたことによって、主のあわれみを受けるという象徴的出会いを経験したのではないかと考えられます。

●後に、パウロが第三次伝道旅行からエルサレムに帰った時にユダヤ当局に捕らえられ、告訴されてしまいます。千人隊長がパウロがなぜ告訴されたのか、事の次第を確かめるために、祭司長たちと全議会、すなわちサンヘドリンの召集を命じました。皮肉なことに、その時の大祭司の名がなんと「アナニヤ」だったのです。彼は自分の権威を見せつけるために、パウロのそばに立っている者たちに、パウロの口を打てと命じた人でした(使徒23:2)。同じ「アナニヤ」でも、こちらは「主が嫌われる」という意味の「ハーナン」(חָנַן)なのです。同じ「ハーナン」ですが、「ハーナン」という語彙は両義性を持っているのです。パウロに対する「アナニヤ」の名前を持つ二人の人物にそれが如実に表されています。

2.「ハーナン」と「ラーハム」は同義

●愛弟子テモテに宛てた手紙の中で、使徒パウロは次のようなことを言っています。

【新改訳改訂第3版】Ⅰテモテ1章13、16節
13 私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたです。
16 しかし、そのような私があわれみを受けた(ἐλεεωのアオリスト)のは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。

●Ⅰテモテ1章13節と16節の「あわれみを受けた」と訳されたのは、ギリシア語では「エレエオー」(ἐλεεω)のアオリスト、ヘブル語では「ラーハム」(רָחַם)の受動態強意形が使われています。「あわれみを受ける」という表現は新約で29回使われていますが、使徒パウロが使っているのはそのうちの13回です。新約の初出箇所はマタイの福音書5章7節で「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです」とあります。

●マタイの福音書において「あわれんでください」とイェシュアのもとにやって来たのは「目の見えない人たち」(9:27、20:30)でした。彼らはイェシュアのことを「ダビデの子」と呼んでいます。これはイェシュアがメシアであることを意味しています。「目から鱗のような物が落ち」たサウロが目が見えるようになってからしたことは、イェシュアがキリスト、すなわちメシアであることを証明して、ダマスコに住むユダヤ人をうろたえさせたことでした。

【新改訳2017】出エジプト記 33章19節
主は言われた。「わたし自身、わたしのあらゆる良きものをあなたの前に通らせ、【主】の名であなたの前に宣言する。わたしは恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。」

●ここにある「わたしは恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。」は、同義的パラレリズムです。「恵む」と訳された動詞は「ハーナン」(חָנַן)で、「あわれむ」と訳された動詞は「ラーハム」(רָחַם)です。

●使徒パウロは出エジプト記33章19節をローマ書9章で引用していますが、以下のようになっています。

【新改訳2017】ローマ書 9章15節
神はモーセに言われました。「わたしはあわれもうと思う者をあわれみ(「ハーナン」חָנַן)、いつくしもうと思う者をいつくしむ(「ラーハム」רָחַם)。」

●「ハーナン」(חָנַן)は、エジプト記では「恵む」と訳され、ローマ書では「あわれむ」と訳されています。一方、「ラーハム」(רָחַם)は、エジプト記では「あわれむ」と訳され、ローマ書では「いつくしむ」と訳されています。よって、「ハーナン」も「ラーハム」も意味としては同義と考えてよいのです。ちなみに、ギリシア語は「エレオー」(ἐλεῶ)と「オイクティロー」(οἰκτίρω)です。後者の「オイクティロー」はここにのみ使われている訳語です。

3. サウロ(パウロ)の「あわれみ」の務め

●パウロが主から受けた「あわれみ」は単なる感情的なことではありません。それは具体的な行動となって表れるのです。そしてそれはパウロの働きを根底から支えていたものだと信じます。

【新改訳2017】Ⅰテモテ書 1章16節
しかし、私はあわれみを受けました。それは、キリスト・イエスがこの上ない寛容をまず私に示し、私を、ご自分を信じて永遠のいのちを得ることになる人々の先例にするためでした。

【新改訳2017】ローマ書 9章24節
このあわれみの器として、神は私たちを、ユダヤ人の中からだけでなく、異邦人の中からも召してくださったのです。

【新改訳2017】使徒の働き26章17~18節
17 わたしは、あなたをこの民と異邦人の中から救い出し、彼らのところに遣わす。
18 それは彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、こうしてわたしを信じる信仰によって、彼らが罪の赦しを得て、聖なるものとされた人々とともに相続にあずかるためである。』


2019.2.11


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