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モーセの舅イテロの訪問と助言

15. モーセの舅イテロの訪問と助言

【聖書箇所】 18章1節~27節

はじめに

  • 出エジプト記18章には、モーセの舅であるイテロが神の山(ホレブ)に宿営していたモーセのもとに、モーセの妻チッポラと二人の息子(ゲルショムとエリエゼル)を連れて行ったことと、モーセの置かれている現実を見たイテロがモーセに助言をしたことが記されています。しかも、イテロの助言をモーセは聞き入れて、すべて言われるようにしたということが重要な点だと思われます。

1. モーセとイテロとの麗しい関係

(1) 歓迎と歓送

  • 18章には、モーセとイテロとの麗しい姿を見ることができます。まずは、イテロを迎えるモーセの姿です。7節に「モーセはしゅうとを迎えに行き、身をかがめ、彼に口づけした。」とあります。「身をかがめる」とは「ひれ伏す」ことで神を礼拝する言葉です。ここでは強意形のヒットパエル態が使われています。神に対して使われる場合には自発的な意味で礼拝する意味ですが、人に対しては尊敬の気持ちをこめた挨拶ということになります。「口づけした」の「ナーシャク」(נָשַׁק)も親愛の情を表わします。
  • 18章2節では訪ねて来たイテロを見送ったことが記されています。見送ることは当然のことですが、ここの「見送る」は「シャーラハ」(שָׁלַח)の強意形ピエル態が使われており、丁重に、好意をもって送り出したことを意味します。」

(2) 喜びの共有

  • モーセは主がイスラエルのために、パロとエジプトになさったすべとのことを語ったとき、イテロはそのことを共に喜んだだけでなく、「バルーッフ・アドナイ」(主はほむべきかな)と同じ神を賛美しています。
  • 親族だからということで喜びを共有できるとは限りません。宗教が異なれば、信じる神が違えば、喜びを共有することは難しいのです。特にクリスチャンの少ない日本ではそうです。神への喜びを共有できるためには、同じ信仰と価値観がなければなりません。イテロとモーセは共通の先祖がおります。それはアブラハムです。アブラハムが信じた神、その神がイスラエルの民をエジプトから救い出されたことで喜びを共有することができたのです。こうした関係があってはじめてイテロはモーセに助言を与えることができたのです。

2. モーセに対するイテロの助言

  • 多くの人々が持ってくる問題、訴訟などを一手に引き受けて、一日中忙しくしているモーセの姿を見たイテロは、モーセに対して「あなたのしていることは良くありません」と言いました。周囲も誰もがいえなかったことをイテロがすかさず言えたのは、信頼関係があったことと、イテロがある意味で部外者だったからだと言えます。いわば、イテロはコンサルタント的な発言をしたのです。
  • イテロがした助言というのはなんら特別な事柄ではなく、極めて一般的、常識的な事柄でした。たとえば、一つの会社で、社員を統括する係長、課長、部長、常務、専務、社長というランクがあるのは当然のことです。あるいは司法面では民事訴訟を扱う家庭裁判(簡易裁判所)、地方裁判所、より大きな問題を扱う高等裁判所、そして最高裁判所があります。極めて常識的な事柄をモーセがしていなかったのは、イスラエルという集団が主を中心とする独特の社会集団であったからだと考えられます。これまでモーセがしていた指揮系統では限界があることをイテロが見て、モーセに助言したことの内容は、以下のことでした。

①モーセは民の代表として神の前に立つこと
②モーセは民におきてと教えを与えて、神の民として生きべき指針を与えること
③民の中から、神を恐れる者、能力のある者、不正を憎む誠実な者を選び出して、彼らに権威を分与すること

  • この助言は、モーセにとって肉体的にも、精神的にも大きな重荷を軽減することになっただけでなく、モーセ自身がより重要なことに専心できる態勢を作り出すこととなったと言えます。
  • これと同じような出来事が初代教会にも起こりました。使徒の働きの6章には、ギリシア語を話すやもめがヘブル語を話すやもめに対しての苦情の申し立てありました。それは毎日の配給でなおざりにされているという申し立てでした。新しくできた教会が最初に抱えた内側の問題でした。正しく早急に対処しなければ、教会が二分しかねない問題でした。そこで、12使徒たちがどのように対処したかと言えば、その問題に対処させるために、七人の者を選びました。その選出基準は、御霊と知恵とに満ちた、しかも評判の良い者です。また、彼らを選出して問題を対処する目的は、12使徒たちが、「もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことができるため」でした。
  • 人が集まるところでは常に問題が起こります。そのため、その問題に対処する必要があります。しかし、そのことで教会にとって最も大切な事柄がなおざりにされてはなりません。最も大切な事柄により専心できるために、上に立つ者はふさわしい者を選び、その者に、与えられた権威を分与していくことが必要なのです。
  • モーセはイテロの助言を素直に受け入れ、早急に実行に移しました。ここにモーセの謙遜を見ることができます。

2011.12.21


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