****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

七つの教会に宛てられたメッセージの今日的意義

本論 3. 七つの教会に宛てられたメッセージの今日的意義

  • ジャック・ヘイフォードはその著『地震』の中で、七つの教会に対する使信を「教会のいのちを奪う4つの要素」としてまとめて指摘している。それを引用しながら、部分的に付け加えて説明したい。

(1)活動や働きが教会の優先順位の第一になること

  • 教会のいのちを奪う要素の一つは、活動や働きが教会の優先順位の第一になることである。エペソの教会は、よく働き、仕え、聖書の価値観にも忠実であった。そして長い間、忍耐してきたと主からほめられている。ところが「しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。」と。
  • すべていのちあるものは、この手の危険性を抱えている。会社や組織団体について学ぶと、偉大業績を成し遂げて成功した後に、停滞し、成長が止まり、やがて崩壊してしまうケースが多くある。また結婚や家庭が単調な日常生活に埋もれると、同じ問題が起こる。互いの親密な関係が失われる。他にも多くの面でこの原則は適用される。そして教会も同様である。
  • 「はじめの愛」、すなわちイエスとの親しい交わりに帰らなければならない。イエスとの交わりが失われるならば、教会の力の源泉を放棄したことになる。イエスは「あなたがたはわたしから離れては何も出来ない」と言われた。いのちの源泉はイエスである。
  • 忙しいことは必ずしも良いとはいえない。エペソの教会がそうであったように活動主義に陥ってはならない。忙しく活動し続けることが第一優先事項となってはならない。

(2) 不純を認可すること

  • バラムとイゼベルの教えに関連する「サタンの深いところ」は、どちらも、人々を性的な不品行へと誘う影響である。行為と思いの不純、不品行によって、心と思いが汚され、悪霊たちの影響下に自分をさらすことになる。それによって、神の目的を全うする人物になる力が制限される。それゆえ、魂に妥協を許してはならない。というのは、性的な罪と妥協は、第一に、堅い確信を失わせるからである。第二に、罪責感によって人々の能力を麻痺させ、いのちを断たせるからである。

(3) 金銭的な成功が神の祝福に等しいとする誤信

  • 金銭的成功と祝福を同意義と考える誤り。3章17節にはこのように記されている。「あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、あわれで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。」物質的な祝福が神の祝福であると思い込む、惑わしについて、警告がなされている。そして、イエスを外に出していることに気づかない。

(4) 恵みと栄光を取り除く宗教的な組織

  • イエスが第四に非難された教会の問題点は、恵みと栄光を取り除く宗教的な組織である。ニコライ派について二度言及されている。また、「サタンの会衆」という言葉も二度使われている。これらは、今日にいう、マインドコントロールされたカルト集団である。もともとニコライという言葉は、ニカオスとラオスという二つの言葉からなり、講壇に立つ役職についた人々が他の会衆と自分たちを区別するための階級制度を示すことばである。指導者だけが重要で、他は奴隷同様とみなす考え方。このようにニコライ派の人々は人々を支配し、働きを独占しようとする。真の牧師、および教会の霊的指導者の働きは人々の務めを解放することである。イエスのいのちが人々を通して流れ、彼らが神の目的を最大限に生きることができるように助けることである。 

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional