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十字架の上で語られた最後の言葉(祈り)

73. 十字架の上で語られたイエスの最後の言葉(祈り)

【聖書箇所】 23章44節~49節

はじめに

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  • 十字架上でイエスが何を語られたのか。すべての福音書を総合することではじめて見えてきます。マタイ、マルコの福音書だけではひとつのことばしか記されていませんが、それぞれの福音書が独自のイエスのことばを伝えてくれています。特に、ここではルカの福音書にのみ目を留めてみたいと思います。

1. 「父よ」という呼びかけ

  • イエスがご自身の祈りの中で「父よ」と呼びかけている箇所は多くはありませんが、受難の記事の中で集中しています。とりわけ、ルカの福音書では以下の4箇所です。

10:21
「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現わしてくださいました。そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。・・」

22:42
父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなくみこころのとおりにしてください。」

23:34
父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分で分からないのです。」

23:46
父よ。わが霊を御手にゆだねます。」

  • 神を「父」と呼ぶイエスの祈りは、「子」としての自分の使命と「父」に対する信頼と従順を表す言葉として、また、父のみこころの秘密を知る「子」として祈っていることが分かります。特に、十字架上のイエスの祈りの最初の言葉と最後の言葉をルカに記しています。受難という危機的な状況の中で祈られたことばに、ルカがイエスのアイデンティティをどのように理解していたかを理解することができます。特に、御父に対する絶対的な信頼と従順の骨頂は、最後の祈りのことばである「父よ。わたしの霊を御手にゆだねます」において見事に結集しています。
  • 父と子のゆるぎない信頼とその親密さは、イエスの生涯に一貫して貫かれています。イエスは12歳の時、両親に対して、「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることをご存じなかったのですか。」(2:49)と語っています。バプテスマをお受けになったときには、天から「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」という御声を聞いて、公生涯をスタートしています。

2. 「わが霊を御手にゆだねます」

  • 23:46のイエスの祈りは、主に対する信頼を歌った詩篇31篇の5節のフレーズです。そこでは「私のたましいを御手にゆだねます。」となっていますが、そこでの「たましい」と訳されたヘブル語は「ルーアッハ」רוּחַで、本来「霊」と訳されるべきことばです。

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右から読むと、

「ベ・ヤードゥハー(あなたの手の中に)、アフキード(私はゆだねる)、ルーヒー(私の霊を)」

  • 「ゆだねる」ということは、相手に対する最も深い信頼を意味します。「ゆだねる」(commit)と訳されたことば(パラティセーミィπαρατίθημι)は、本来「~の前に置く」(set before)という意味です。俗なことばでいうならば、「まな板の上の鯉」のように、窮地に立たされても慌てることなく、自分の身を相手のなすがままにさせて、泰然としている状態です。そこから「ゆだねる」と意味が派生しているようです。 ヘブル語では「パーカド」פָּקַד(paqad)が使われています。
  • 神にゆだねるとはどういうことか。
    カソリックの司祭で、プロテスタントにも大きな影響を与えている人に、ヘンリー・ナウエンという方がいます。その人がある本の中で空中ブランコサーカスのスターに演技についての秘訣を聞いた話を書いています。それによれば、「サーカスの観客は飛び手がスターだと思っているが、ホントのスターは受け手だということです。うまく飛べる秘訣は飛び手は何もせず、全て受け手にまかせることなのです。飛び手は受け手に向かって飛ぶ時、ただ両手を拡げて受け手がしっかり受けとめてくれると信じてジャンプすることなのです。空中ブランコで最悪なのは飛び手が受け手をつかもうとすることなのです。」 
  • この言葉を聞いたナウエンは一つの啓示を受けます。「恐れなくてもよいのだ。私たちは神さまの子ども、神さまは暗闇に向かってジャンプするあなたを闇の向こうでしっかり受けとめてくださる。あなたは神さまの手をつかもうとしてはいけない。ただ両手を拡げ信じる事。信じて飛べばよい。」のだと。
  • 神があなたを捕らえてくれることを信頼してジャンプすること、これが「ゆだねる」ということの意味なのです。「父よ、わが霊を御手にゆだねます」ということばの中に、完全なる謙遜、完全なる愛、完全なる明け渡し、徹頭徹尾の信頼と従順が告白されています。御父に対する揺るぎない信頼こそイエスの生涯に一貫したものでした。ここに信仰の完成者の姿があります。このゆるぎない信頼のかかわりを、ヨハネは「永遠のいのち」と呼んでいるのです。
  • 子としての父に対する完全な信頼と従順こそ、神と人とを結ぶいのちの絆です。イエスは、受難を通してこのいのちの絆の栄光を現わして下さったのです。

2012.11.8


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