広がりゆく喜び、ダビデの賛美の回復
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ネヘミヤ記、エステル記の目次
12. 広がりゆく喜び、ダビデの賛美の回復
【聖書箇所】 12章1節~39節
ベレーシート
- ネヘミヤ記の12章は、城壁の奉献式がどのように行われたかが記されています。神殿を中心としたダビデの賛美の回復がなされたことを見ることが出来ます。ダビデの時代にはまさに国家としての事業であったことが、ここでは異邦人の支配の下で民族的なレベルの小規模なイベントでした。しかし、43節の「こうして」とあるように、そこには、大人だけでなく、女も子どもも、共に喜ぶ祝うその声がはるか遠くまで聞こえたと記されています。
1. 二つの聖歌隊による賛美行進
- イスラエルの歴史において、城壁の奉献式が行われたのはこの時が初めてです。とても珍しいイベントなのです。人々が、城壁の上に上り、二つの大きな聖歌隊が組織されて、しかもそれそれが左右の別ルートで行進して、神殿の東門へと至って神殿に入るというものです。その日には、数多くのいけにえがささげられ、賛美かなされました。
- 賛美行進で用いられた楽器としては、祭司の吹くラッパ、そしてシンバル、十弦の琴、立琴、そしてそれに聖歌隊の歌うたいたちです。一つの聖歌隊の先頭に立ったのは、学者エズラでした。かつては賛美リーダーが先頭に立ちましたが、この時代にはそのようなすぐれた有能な賛美リーダーはいなかったようです。神のみおしえによって新しい神の民となることを優先するその象徴として、エズラが先頭に立ったものと思われます。
- ダビデの時代、ソロモンの神殿礼拝での楽器はフル・オーケストラによる壮大なものでした。それと比べるならば、楽器の編成も小規模でする。いずれにしても、「神の人ダビデ」の賛美が回復したことを示しています。ここに「神の人ダビデ」という表現が二回あります(24節、36節)。ダビデは礼拝の中に音楽を導入して、礼拝の改革を図った人です。ダビデの楽器と言われるほどに、神を礼拝するための特別な楽器を作らせ、レビ人に奏させたのでした。
- ダビデの時代では、神殿のさまざまな働きにかかわるレビ人は20歳からでした。しかし、音楽を用いて賛美するレビ人たちは、30歳にならなければその働きに従事できなかったようです。そのあたりのことは、新しい視点から歴史が見直されて記された、歴代誌に詳しく記されています。
2. 広がりゆく喜びの声
- 43節は、「喜び」表わす言葉が、一つの節の中になんと5回も使われている珍しいケースです。すべて同じ言葉で、名詞と動詞で使われています。
【新改訳改訂第3版】
12:43 こうして、彼らはその日、数多くのいけにえをささげて喜び歌った。神が彼らを大いに喜ばせてくださったからである。女も子どもも喜び歌ったので、エルサレムの喜びの声ははるか遠くまで聞こえた。【新共同訳】
12:43 その日、人々は大いなるいけにえを屠り、喜び祝った。神は大いなる喜びをお与えになり、女も子供も共に喜び祝った。エルサレムの喜びの声は遠くまで響いた。
(1) 動詞
「サーマハ」(שָׂמַח)、「喜ぶ」、ピエル態で「喜ばせる」、154回。詩篇の特愛用語です。ネヘミヤでは、12章43節に3回使われています(そのうち、ピエル態は1回)(2) 名詞
「シムハー」(שִׂמְחָה) 「喜び」、94回(ネヘミヤ記では6回、8:12, 17/12:27, 43, 43, 44)(3) 形容詞・・(ネヘミヤ記では使われていません)
「サーメーハ」(שָׂמֵח) 喜ぶ、楽しむ、21回。
- ネヘミヤ記8章10節に「主を喜ぶこと、(それは)あなたがたの力」と会ったように、「喜び」は私たちの存在を支えていく深い所にあります。
- 城壁再建の工事のために労した神の民にとって、それが完成し、それを神に奉献できることは、大いなる喜びであったに違いありません。その工事が困難を極めたことを考えるならば、その完成の喜びも大きかったはずです。またね民族的に心をひとつにできたこともその喜びの中に含まれていたことと思います。彼らは、城壁の上を共に行進しながら、とても自分たちの力量によっては成し得ないことを、神のことばと御力を信じて成すことが出来た喜びを分かち合ったことでしょう。これまでの戦いの後を振り返りながら、あの困難、この苦難、ひとつひとつを思い返しつつ、その一切を乗り越えさせてくださった神の恵みを深く思い感謝したに違いありません。
2013.11.13
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