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恩寵用語Ps6(2)

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詩6篇(2) 「受け入れる」 לָקַח ラーカハ

〔カテゴリー愛顧〕  

9節b「主は、私の祈りを受け入れられる。」

Keyword; 「受け入れる」 accept,

  • 8節後半から9節は、苦しみの中にある作者の信仰の確信が表明されています。
    主は、私の泣く声を聞かれたのだ。
    主は、私の切なる願いを聞かれた。
    主は、私の祈りを受け入れられる。
  • 「聞かれた」と訳される動詞は「シャーマ」(שָׁמַע)です。神が人の祈りを聞かれるのも、人が神の御声を聞くのも、おなじくこの動詞が使われます。しかし、圧倒的に多いのか、前者、すなわち神が私たちの声や叫びや祈りを聞かれるということです。
  • 詩6篇8b~9節に見られる「聞かれた」は完了形で、「受け入れられる」は未完了形です。作者の嘆きは確かに主に聞き入れられました。その経験から、あるいは、確信から「主は、私の祈りを受け入れられる」と述べています。
  • 「受け入れられる」と訳された「ラーカハ」(לָקַח)は旧約で966回も使われています。「取る、take 受ける、受け取るreceive 受け入れるaccept めとるmarry 召し入れる、連れてくる、迎える、選ぶ、捕える」といった自らの方向へ引き入れることを表わすことばです。取得、受容、歓迎、選択、捕獲、傾聴といったイメージです。
  • 「私の祈りを受け入れられる」とは、私という存在を受けとめてくれるということです。その受容の中に、「泣く声、切なる願いに耳を傾けてくださる」ということも含まれているのだと思います。その意味では、主は実に偉大な牧会者(傾聴者)ということが言えます。
  • 私たちは自分の思いを、心の叫びを聞いてくれる耳を求めています。また、自分をありのままに受け止めてくれる存在を探し求めています。しかし、落ち込んでいる者の心の奥にあるもの、ことばの背後にある心の叫び、沈黙のことば、怒りの内側にあるもの、恨みの奥にあるものを聞くということはとても大変な務めです。
  • 福音書の中には、主イエスのもとに来た人々の叫びに耳を傾けられたイエスの姿がありますが、今や、そのイエスはもろもろの天を通られて、神の右の座に着かれた偉大な大祭司として、私たちの祈りに耳を傾けて下さるという務めをしておられます。「祈りに耳を傾け、受け入れてくれる」ーそのようなかかわりを換言するならば、「思いやる」ということばで表わすことができます。ヘブル人への手紙5章2節には「彼(私たちの大祭司)は、・・・無知な迷っている人々を思いやることができるのです。」とあります。「思いやる」と訳されたギリシャ語「メトリオパセオー」(μετριοπαθέω)は、新約聖書でここ1箇所だけです。1回とはいえ、大祭司としての務めを表わすきわめて重要なことばだと思います。その「思いやる」務めとは、弱い者を受け入れ、注意を払い、心を配り、顧みる務めです。

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