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悔い改めの勧告と第一の幻、および第二の幻

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1. 悔い改めの勧告と第一の幻、および第二の幻

【聖書箇所】 1章1節~21節

ベレーシート

  • ゼカリヤ書1章は、1~6節までの「悔い改めの勧告(呼びかけ)」と、八つの幻の中の二つの幻(第一と第二の幻)について記されています。また、以下に見られる特徴を見ることが出来ます。

(1) ネーム・セオロジー

  • 著者の預言者「ゼカリヤ」は、「イドの子ベレクヤの子、ゼカリヤ」と紹介されています。ここには「ネーム・セオロジー」の真骨頂を見ることが出来ます。つまり、三世代に渡る名前の中に神のメッセージが語られていると考えられます。それぞれの名前(固有名詞)の原意は以下の通りです。

    (1) 「イド」(עִדּוֹ)の原意は、動詞「ウード」(עוּד)で「戒める」「証言する」、名詞は「エドゥース」(עֵדוּת)で「戒め」「あかし」「さとし」と考えられます。

    (2) 「ベレクヤ」(בֶּרֶכְיָה)の原意は、動詞の「祝福する」の「バーラフ」(בָּרַךְ)と「主」を意味する神聖四文字(יהוה)の短縮形「ヤー」(יָהּ)がついて、「主が祝福する」という意味です。

    (3)「ゼカリヤ」(זְכַרְיָה)の原意は、動詞の「覚える、記憶する」と「ザーハル」(זָכַר)と、主の短縮形「ヤー」(יָהּ)がついて、「主が覚えている」「主は決して忘れてはいない」という意味です。


    これらを結び合わせて考えるならば、「主があなたがたを祝福しておられ、決してあなたがたを忘れてはおられない。これが主の契約におけるあかしなのだ」というメッセージとなります。ここでの「あなたがた」とは、神によって選ばれたイスラエルの民を意味します。それゆえに、ゼカリヤ書の序文的部分(1~6節)で、主がご自身の民に対して、主との正しいかかわりに立ち帰るよう呼びかけるところから始まっているのです。このかかわりこそ、ゼカリヤ書の終末預言の背景にある重要な事柄なのです。

(2) ヘブル的強調表現

  • ゼカリヤ書1章において、ヘブル語特有の強調表現を見ることができます。それは、同語根を持つ動詞と名詞を重ねて用いることで意味をより強調するという手法です。この手法を同根対格(英語では cognate accusative)というようです(脚注)

    (1) 2節「主はあなたがたの先祖たちを激しく怒られた」・・動詞の「怒る」(「カーツァフ」קָצַף)と名詞の「怒り」(「ケツェフ」קֶצֶף)の積み重ね。

    (2) 14節「・・わたしは、エルサレムとシオンとを妬むほど激しく愛した。」・・動詞の「妬む(熱中する、熱愛する)」(「カーナー」קָנָא)と名詞の「妬み(熱心、熱愛)」(「キナー」קִנְאָה)の積み重ね。

(3) 「強調されている」事柄・・・その1「再び」

  • 1章にはこの他にも強調表現があります。つまり、同じ言葉が一つの節に4回も使われていることです。それは「もう一度、再び」を意味する「オード」(עוֹד)ということばです。

    もう一度(עוֹד)叫んで言え。万軍の【主】はこう仰せられる。『わたしの町々には、再び(עוֹד)良いものが散り乱れる。【主】は、再び(עוֹד)シオンを慰め、エルサレムを再び(עוֹד)選ぶ。』」

    ここで強調されている事柄は、「エルサレムが再建され、主の神殿が建て直されること」です


(4) 「強調されている」事柄・・・その2「万軍の主」

  • エルサレムの再建するのはだれか。それは「万軍の主」です。ところでこの「万軍の主」(「アドナイ・ツェヴァーオート」יהוה צְבָאוֹת)という主の名前は旧約で487回使われています。民数記で77回、詩篇24回、イザヤ70回、エレミヤ88回、ダニエル6回、アモス8回、ハガイ14回、ゼカリヤ53回。驚くことに、ゼカリヤ書は全14章の中でなんと53回の使用頻度は尋常ではない数です。
  • 「異邦人の時」におけるユダヤ人、またエルサレムの状態はまことに小さく、貧弱のように見えます。しかし神の視点からみるならば、決してそうではないことを示しているのが、この「万軍の主」という神名なのです。

1. 第一の幻「赤い馬に乗った人」(1:7~17)

  • ゼカリヤはダリヨス王の第二年の第八の月に、預言者として召されましたが、その三か月後に「八つの幻」を見せられます。しかも一晩にです。そこには「異邦人の時」ー(それは、バビロンのネブカデネザルから始まってキリストの再臨まで、神の民とエルサレムを支配した異邦人の時代を意味します)ーにある神の民とエルサレムに対して語られている終末預言です。
  • 最初の幻に登場する人物として、「赤い馬に乗っていたひとりの人」(8節)、「ミルトスの木の間に立っている人」(10節)、そしてゼカリヤと話し、また万軍の主とも語っている「主の使い」がいます。これらは別々の人物ではなく、ひとりの人物、すなわち、「受肉前のキリスト」を表わしています。旧約聖書には、「受肉前のキリスト」と思われる箇所があります。創世記32:24~31、ヨシュア記5:13~15、士師記13:3, 6, 17, 18, 22、ダニエル3:25, 7:13、等を参照。
ミルトスの花.jpg
  • 「ミルトス」は常緑の低木で「銀梅花」とも呼ばれます。旧約聖書には6回しか使用されていません(ネヘミヤ8:15、イザヤ41:19, 55:13、ゼカリヤ1:8, 10, 11)。レバノン杉のような高木と比べるならば、ミルトスは低木のために見栄えもなく、また建築材としても使えません。それゆえ、謙遜さ、慎ましさの象徴として解釈されています。またねミルトスは、仮庵の作る時にも用いられる(ネヘミヤ8:15)ところから、メシアの時代が暗示されているとも言われます。
  • ちなみに、「ミルトス」はヘブル語で「ハダス」(הֲדַס)と言いますが、エステルのユダヤ的別称は「ハダッサー」(הֲדַסָּה)です。

(1) 「地を行き巡るために主が遣わされた馬」

  • 「赤い馬」「栗毛の馬」「白い馬」は、「地を行き巡るために主が遣わされたもの」です。それらが地を行き巡って見たものは「全地は安らかで、穏やか」な様子でした。しかし、この「安らか、おだやか」さは偽りの平和であり、その背景にあるのは神の民を踏み倒し、踏みにじって自分たちの権力を誇っている異邦の諸国(世界)の姿です。神はご自身の民を矯正する目的で異邦人を用いたに過ぎません。しかし彼らは自分のたちの権力を誇っていたゆえに、15節で主は「安逸をむさぼっている諸国の民に対しては、大いに怒る。わたしが少ししか怒らないでいると、彼らはほしいままに悪事を行った」と怒りをあらわにしています。

(2) エルサレムに対する主の熱愛

  • 第一の幻で最も注目しなけれはならないのは、主のエルサレムに対する熱愛(ジェラシー)です。

    13 すると【主】は、私と話していた御使いに、良いことば、慰めのことばで答えられた。
    14 私と話していた御使いは私に言った。「叫んで言え。万軍の【主】はこう仰せられる。『わたしは、エルサレムとシオンを、ねたむほど激しく愛した

    16 それゆえ、【主】はこう仰せられる。『わたしは、あわれみをもってエルサレムに帰る。そこにわたしの宮が建て直される。──万軍の【主】の御告げ──測りなわはエルサレムの上に張られる。』
    17 もう一度叫んで言え。万軍の【主】はこう仰せられる。『わたしの町々には、再び良いものが散り乱れる。【主】は、再びシオンを慰め、エルサレムを再び選ぶ。』」

  • かつて、主の栄光がエルサレムから離れて行くのをエゼキエルは見ました(エゼ10:18~19、11:22~33)。そして滅亡が訪れ、異邦人の時が始まったのです。イスラエルの回復のプロセスは、この滅亡とは逆のプロセスとなります。すなわち、神がエルサレムに帰られることです。そしてそこにエルサレムの神殿が再建されることです。この二つのことが成就されるのは、千年王国においでです。これが第一の幻の結論です。そのときには、良い(トーヴ)ものは「散り乱れる」(口語「満ち溢れる」、新共同訳「恵みで溢れ」)のです。原語の「プーツ」(פּוּץ)の意味は、散らされ、広がって行くイメージです。
  • 千年王国の時代の都エルサレムは「主はここにおられる」〔アドナイ・シャマー〕יהוה שָׁמָּה(エゼキエル48:35)と呼ばれるようになります。

2. 第二の幻「四つの角と四人の職人」(1:18~21)

  • 「角」とは、力の象徴であり、傲慢な権力を象徴しています。ここでは、ユダとイスラエルを散らし、エルサレムを破壊した「角」、異邦人の時にユダヤ人を苦しめる勢力とも言えます。「四つの角」のことを、21節では「これらはユダを散らして、だれにも頭をもたげさせなかった角」、あるいは「ユダの地(エルサレムのこと)を散らそうとする国々の角」と言い表わしています。おそらくこの四つの角とは、バビロン、メディア・ペルシア、ギリシャ、ローマの四つの国を指していると解釈できます。
  • ゼデキヤの時代はペルシアの時代でした。ギリシア、ローマは未だ現われていませんが、預言者はそれを予見して「預言的完了形」を用いています。
  • さらに、これらの「四つの角」を「打ち滅ぼす」ためにやって来る「四人の職人」がいるのです。この「四人の職人」とは、「四つの角」を討ち滅ぼすリーダーのことです。おそらく、バビロンを打ち滅ぼした「クロス」、ベルシアを打ち滅ぼした「アレクサンドロス」、そしてギリシアのセレウコス王朝のアンティオコスを打ち滅ぼした「ローマの将軍」、そして最後は、終末において復興されるローマ、すなわち反キリストを打ち滅ぼす再臨の「キリスト」、これら四人と解釈することができます。


脚注

●聖書に登場する同根対格の例としては、以下のものがあります。
(1) 詩篇14篇5 節「見よ。彼らが、いかに恐れたかを
ここには、「恐れる」という動詞「パーハド」פָּחַדと、「恐れ」という名詞「パハド」פַּחַד)の組み合わせが見られます。

(2) 詩篇144篇6節「いなずまを放って、彼らを散らし、・・・」
ここには、「いなずまを放つ」という動詞「バーラク」בָּרַקと、「いなずま」という名詞「バーラーク」בָּרָקの組み合わせが見られます。

(3) 哀歌1章8節「エルサレムは罪に罪を重ねて、汚らわしいものとなった。」
ここには、「罪」という名詞「ヘーテ」חֵטְאと、「罪を犯す」という動詞「ハーター」חָטָאの組み合わせが見られます。


●同根対格については⇒ こちらも参照のこと


2013.9.17


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