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第三の幻(エルサレムの回復とシャハイナ・グローリー)

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2. 第三の幻(エルサレムの回復とシャハイナ・グローリー)

【聖書箇所】 2章1節~13節

ベレーシート

  • 第一と第二の幻、そして今回の第三の幻を見せられたゼカリヤは、ことごとく、自分の見た幻について、その真意を尋ねています。
    第一の幻の時・・「主よ。これらは何ですか。」(9節)
    第二の幻の時・・「これらは何ですか。」(19節)、「この者たちは何をしに来たのですか。」(21節)
    第三の幻の時・・「あなたはどこへ行かれるのですか。」(2章2節)
  • ゼカリヤが尋ねた一言が、主のみこころを開示する戸口となっています。このことは記述預言者たちの特徴です。神はこのような方法を用いてご自身のみこころやご計画を啓示されています。そのことは、いわば、「まことに、神である主は、そのはかりごとを、ご自分のしもべ、預言者たちに示さないでは、何事もなさらない。」(アモス3:7)」という主のことばが実現していると言えます。さらに、問いかけるだけでなく、預言者の意見によって神が思い直されるということもあります。それは神が預言者を「友」のように思っておられるからです。イエスも弟子たちに対して「わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。・・わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から、聞いたこと(秘密)をみな、あなたがたに知らせたからです。」(ヨハネの福音書15:15)
  • 「問いかけ」させる教授法(問答法)は、イエスも採用されました。イエスがしばしばたとえ話を用いられたのは、人々にたとえを用いて分かりやすく理解させるためではなく、人々をして「それはどういう意味ですか」と「問いかけ」させるためです。語られたみことばの意味を尋ね求める者にのみ、その真意を教えるという方法です。ですから尋ね求めることがなければ、真意は啓示されないということになります。反対に、真意を尋ね求めるならばより明確に多くのことが示されるということにもなります。こうした「突っ込み」や「問いかけ」をさせる方法は、ユダヤ人たちの伝統的な教育法だと言われます。これは神のことばを学ぶすべての者にとっても重要な方法と言えます。なぜなら良い質問はすばらしい答えを引き出すからです。ですから良い質問をすることが称賛されるのです。

1. 測り綱を持つひとりの人の幻

  • ゼカリヤは「測り綱を持った人」に尋ねました。その測り綱を持って「あなたはどこへ行かれるのか」と。するとその人は「エルサレムを測りに行く」と答えます。それは測量のための綱で、今日も、ある土地に建物を建てる場合にはその敷地の範囲を示すために、木や紐で囲います。ここでは、これからエルサレムの町を、また神殿を再建するという目的のためでした。
  • この幻は4節で「(再建される)エルサレムは・・・城壁のない町とされよう。」とあります。というのは、主ご自身がその町を取り巻く火の城壁となるからです。ここで注目したいことは、再建されるエルサレムには城壁がありません。この幻の数年後に建てられる第二神殿の時代には、後にネヘミヤが崩されたエルサレムの城壁を再見していますので、城壁のないエルサレムが再建されるのは「千年王国時代」ということになります。千年王国では神の敵は存在しません。したがって城壁は必要ないのですが、メシア王国では完全にメシアの主権による支配であるため、そのことを「火の城壁」にたとえていると考えられます。その「火の城壁」は、荒野の時代にイスラエルが昼は雲の柱、夜は火の柱によって防御されていたように、新しいエルサレムの町は主ご自身の完全なご支配の中にあるのです。5節の後半に「わたしがその中の栄光となる」と記されているように、この主の栄光は「シャハイナ・グローリー」です。それは神の特別な臨在を伴う栄光のことです。

2. 新しく回復されたエルサレムでなされる爆発的賛美

  • これはダビデの幕屋の回復を意味します。

    【新改訳改訂第3版】ゼカリヤ書 2章10節
    シオンの娘よ。喜び歌え。楽しめ。見よ。わたしは来て、あなたのただ中に住む。──【主】の御告げ──


    ゼハニヤ書3章14節
    シオンの娘よ。喜び歌え。イスラエルよ。喜び叫べ。エルサレムの娘よ。心の底から、喜び勝ち誇れ

  • エルサレムにおけるこの爆発的賛美は、メシアが再臨された後の千年王国における呼びかけです。ダビデの幕屋での賛美が再び回復されるのです。預言者アモスが「その日、わたしはダビデの倒れている仮庵を起こし、その破れを繕い、その廃墟を復興し、昔の日のようにこれを立て直す。」(9:11)と預言しているのは、このことだと理解することができます。初代教会における最初のエルサレム会議の中で、議長となった主の兄弟ヤコブは、アモスのこの預言を引用し、神のご計画にそった結論を導き出しました。そのご計画とはユダヤ人と異邦人が主にあって共同相続人となるというものです。それはパウロのことばで言うならば、次の「新しいひとりの人」と表現されます。

3.  ユダヤ人と異邦人クリスチャンの「新しいひとりの人」の実現

  • メシアの支配する御国である「千年王国」では、パウロがエペソ人への手紙で使っている新しい概念(奥義)、つまり「新しいひとりの人」(エペソ2:13)が完全に実現します。

    2:11
    その日、多くの国々が【主】につき、彼らはわたしの民となり、わたしはあなたのただ中に住む。あなたは、万軍の【主】が私をあなたに遣わされたことを知ろう。


4. 付記

  • 私は以前、メシアニック・ジューであるひとりの男性に出会いました。アリエル・ブルーメンソール(Ariel L. Blumenthal )という方です。私にとって初めてのメシアニック・ジューとの出会いでしたが、とてもインパクトのある出会いでした。彼はピアノを弾いている私の方に近づいて来て、突然、「天国ということをどう理解しているのか」と質問しました。彼と話をする中で、クリスチャンがイメージしている天国と、ユダヤ人がイメージしているものとは全く異なっていることを、私はそのとき初めて知りました。ユダヤ人の理解する御国とは、明確に、この地上において実現する御国であり、それはメシア王国の到来によって実現する千年王国を意味します。それまでの私は「千年王国」について深く考えることはありませんでした。天国と言っても私には漠然としたイメージしかありませんでしたが、それ以来、千年王国の到来は聖書のいろいろなところに記されていることを知るようになりました。千年王国の到来は神の不変のご計画であり、アブラハムからはじまるイスラエルの民に対する神の約束の成就であり、しかもそれは聖なる山シオン(エルサレム)において実現するのです。
  • なぜ、今日の教会において、「ダビデの幕屋についての理解」、あるいは「千年王国についての理解」が希薄なのでしょうか。それはひとえに「置換神学」と「個人的救いの強調」が、当然見るべきものを覆っているからだと考えられます。置換神学の流れの中にいるクリスチャンは「置換神学」ということばさえも知りませんし、またダビデが礼拝を改革した新しい賛美についても知リません。千年王国について、その名前は聞いていてもその実態が何であるかを知りません。そして、ユダヤ人であるイエスがメシアとして弟子たちに教えた「あの祈り」、すなわち「主の祈り」の中にある「御国を来たらせたまえ。みこころが天にあるごとく、地にもなさせたまえ」という意味が、この地上に実現されるメシア王国(千年王国)の到来を願う祈りだということも理解していません。知らずに、ただ呪文のように唱えているのです。
  • 「千年王国」「エルサレムの中心性」「全イスラエルの回復」「ダビデの幕屋の賛美」、ユダヤ人と異邦人による「新しいひとりの人の概念」、実に、これらはすべてひとつにつながっているのです。その背景にあるのは、神とイスラエル(ユダヤ人)との尋常的ではない不変の愛の関係です。異邦人クリスチャンは、ただただイェシュア・ハマーシアッハ(イエス・キリスト)に対する信仰を通して、ユダヤ人(イスラエル)に接ぎ木される形で神の祝福を受けているのです。異邦人クリスチャンのこの立ち位置を正しく、謙虚に、受けとめる必要があるのです。そのときはじめて神のご計画(マスター・プラン)が理解できるからです。


2013.9.18


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