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感謝、励まし、負債

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3. 感謝、励まし、負債

はじめに

  • ローマ人への手紙は、1節にあるキリスト・イエスのしもべパウロから、7節のローマにいるすべての、神に愛されている人々、召された聖徒たちに宛てて書かれたものです。パウロはローマに行ったことも、また(一部の人たちを除いては)ローマにいるクリスチャンたちと会ったこともありませんが、その教会に対して挨拶をしています。
  • クリスチャンというのは、自分が神に愛されている存在であることを知った人たちのことです。「聖徒」というのも、特別な人でも、ましてや聖人君主でもありません。普段の生活の中においていつもイエス様の思いを思いとして生きている人のことです。主がなされるようになし、主が愛されるように人々を愛し、主が語られるように語り、主が思わせるように思う者のことです。常に主イエスを自分のものとしている人のことです。このような聖徒たちが、当時世界の中心地、世界の都と言われるローマにもいたことが、パウロにとって喜びであったようです。私たちがもし、見知らぬ地でクリスチャンと出会ったなら、本当に嬉しく思うに違いありません。旅行とか、会社の用事で出張し、聖日の礼拝をささげるために近くの教会にお邪魔することがあったとしたら、どうでしょうか。何とも言えない親近感を抱くに違いありません。なぜなら、同じ神を信じる家族だからです。
  • ところで、今回の聖書箇所から、パウロに関して三つの点に焦点を当ててみたいと思います。その三つとは、「感謝」と「励まし」と「負債」です。

1. パウロは常に感謝する人であった

  • 8節を見ると、パウロは「まず第一に、あなたがたすべてのために、私はイエス・キリストによって私の神に感謝します。」とあります。パウロという人は実に感謝する人でした。パウロが書いた他の手紙でも、挨拶の後に必ずその教会の人々のことで感謝しています。コリントにある教会に対しても、「私は、キリスト・イエスによってあなたがたに与えられた恵みのゆえに、あなたがたのことをいつも神に感謝しています。」(Ⅰコリント1:2)と言っています。コリントの教会と言えば、都会的センスを持った、賜物豊かな教会でしたが、実に人間的な様々な問題をかかえていた教会です。分裂、分派といった争いがあり、道徳的な面においてかなり乱れていたようです。一見すると、とても感謝できるような理想的な教会ではありませんでした。しかしパウロはそのありのままの教会を感謝しています。
  • エペソにある教会に対しても、パウロは「あなたがたのために絶えず感謝をささげて・・います。」とありますし、ピリピの教会に対しても「私は、あなたがたのことを思うごとに私の神に感謝し、・・ています。」と書いています。とすれば、私たちが仲間のことについて祈り会でとりなしをするとき、必ず、とりなす相手の人や教会について、パウロに倣って感謝するようにしたいものです。感謝することはパウロの生活の特徴そのものです。
  • 私たちの生活の特徴は何でしょうか。感謝でしょうか。それとも不平不満でしょうか。パウロは自分が感謝する人であったので、人々にも「感謝しなさい」と教えました。例えば・・
    ①「みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談を避けなさい。・・・むしろ感謝しなさい。」(エペソ5:4)
    ②「あふれるばかり感謝しなさい。」(コロサイ2:7)
    ③「感謝の心を持つ人になりなさい。」(コロサイ3:15)
    ④「いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって、神に感謝しなさい。」(エペソ5:20)
  • 上記の聖句は獄中書簡と言われる手紙の中にあります。特に、最後の「いつでも、すべてのことについて」感謝するということがとても大切なのです。このことを、今回、共に、しばらく考えてみたいと思います。マーリン・キャロザースという方が書いた多くの本がありますが、彼の話の焦点はいつも同じです。彼の話は、聖書の中にある二つのみことばに集約できるように思います。ひとつはテサロニケの手紙第一5章16~18節。もうひとつはローマ人への手紙8章28節です。マーリン・キャロザースという名前を聞くだけで、この二つの聖句が浮かび上がるほどです。

(1) テサロニケの手紙第一5章16~18節
16 いつも喜んでいなさい。
17 絶えず祈りなさい。
18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んで
おられることです。


(2) ローマ人への手紙8章28節
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを
働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。


  • すべてのことを、つぶやかずに感謝する。これが実は神の祝福を手にする最大の秘訣だというのです。どんなときも、すべてのことについて感謝するのです。感謝できないと思われることも感謝するのです。なぜなら、それは神様のお許しなくしては起こることがないからです。神を愛する者のために、神はすべてのことを相働かせて益としてくださる方だからです。不平不満を並べ立てても何も解決はありません。ましてや相手を変えることは決してありません。ますます心を頑なにするだけです。いつでも、「ハレルヤ。主よ、感謝します。」と口に出すなら、私たちは不平不満のしがらみから解放されることができるのです。私たちが不平不満を言う時、一番喜んでいるのはサタンです。ですから、私たちがどんなときでも感謝するようになると、サタンは反対に怒り出すでしょう。
  • このたびの家内の入院(回転性のめまい)も、実は感謝しています。なぜなら、神様は深いご計画をもっておられて、私たちの益のため、それをお許しになったからです。そのことがなければ決して得ることのできない何かがあるからです。そしてそれは神の絶妙なご計画の一部だと信じるからです。私たちが神に感謝するとき、この神のご計画の中に確かに組み入れられて行くのです。すばらしい神様の恵みを経験することができるのです。しかし反対に、不平不満は決して何も解決をもたらしません。むしろストレスがたまるばかりです。
  • 聖書が教えているように、「すべてのことを感謝する」ことを始める時、まずその人自身が変わり、勝利します。次に、あなたを見ている周りの人が変わり始めます。あるがままの現実を信仰をもって神に感謝するとき、神様がすばらしいことをしてくださるのです。不平不満、失望落胆は、私たちに、また周囲に対して何をもたらすでしょうか。それはむしろ私たちを神から引き離すサタンの策略であることを知りましょう。
  • 詩篇50篇とその偶数の詩篇(52, 54, 56, 58篇)には「感謝のいけにえをささげる」とか、「あなたに感謝します」という告白が出てきます。感謝することは、神の心を喜ばせ、神の栄光を輝かすことになります。ですから、私たちは「いつでも、どんなときにも、すべてのことについて」、神に感謝する者となりましょう。「ハレルヤ。主に感謝します。なぜなら、あなたは私にいつもすばらしいご計画をもって、すべてのことを益としてくださる方だからです。」と賛美する者になりましょう。いや、感謝する者、賛美する者となる決心をしましょう。

2. パウロは同信との交わりを通して、励ましを受けることを望んだ

  • パウロは8節で、「・・私はあなたがたのことを思わぬ時はなく、いつも祈りのたびごとに、神のみこころによって、何とかして、今度はついに道が開かれて、あなたがたのところに行けるようにと願っています」と言っています。パウロの心の中に、ローマにある教会を訪問したいという願いがいつもあったようです。そしてその思いは年ごとに強められ、必ず道は開かれるという確信が与えられるようになりました。その訪問は何度も妨げられましたが、それを妨げようとしていたのはサタンの策略でした。ローマは世界の中心です。もしパウロがそのローマに行って福音を宣べ伝えたなら、その影響は大きなものとなります。サタンにとってはパウロがローマに行かれると困るわけです。それで何とか行けないように、いろいろな人を通して、意地悪をしたり、牢に監禁したり、無関心にさせたりしました。しかし使徒の働きを見ると分かるように、たとえサタンがどのようにローマ行きを阻もうとも、神はパウロに対しローマ行きの道を、だれもが考えなかった方法で開かれるのです。その神の導きの御手について、ルカは多くの部分を費やして使徒の働きの中に記しています。
  • ところで、パウロがそんなにも、ローマに行くことを切望していたその目的は何だったのでしょうか。パウロは二つのことを記しています。第一は、パウロがクリスチャンたちとの交わりを通して、励ましを受けることを望んだからです。11~12節に「私があなたがたに会いたいと切に望むのは、・・したいからです。というよりも、あなたがたの間にいて(に会って)、あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。」
  • 「励ましを受ける」とはどういうことでしょうか。よく病気の人を励まそうと思ってお見舞いに行ったのが、かえって励まされて帰ってくるというような話を聞いたことはありませんか。それは、見舞いの相手の人になされた神様の恵みにふれたからではないでしょうか。見舞いに行った人が見舞われた人を通して、教えられることが多々あったからです。あるいは、予期しなかった麗しい何かをお見舞いを通して与えられたからではないでしょうか。私は、近年、ペンテコステ・カリスマの流れにあるクリスチャンの方々との出会いや交わりを通して、実に多くのことを感じさせられ、教えられ、霊の励ましを受けました。同じ主にある者としての愛、親切、謙遜さに触れるとき、私は心豊かにされていることに気づかされました。このようなことを通して、パウロの「ともに励ましを受けたい」という気持ちが少し分かったように感じられました。
  • ですから、私たちは他のクリスチャンたちとの交わりを通して、互いに励まし合うことを学びましょう。そのためには、偏見をもって、自分の殻に閉じこもっていてはなりません。主にある交わりを積極的に求めて行くことで励ましを受けるのです。今日、日本の教会に求められているのは、この励ましではないかと思わされます。いろいろなところで、同じく主にある者たちと交わりを持つことで、決して戦っているのは自分だけではなく、多くの所で、多くのクリスチャンたちが戦っていることを身近に知るとき、多くの励ましを主にあって受けるのです。ですから、交わることを恐れずに、自分の良い面も、悪い面も、ありのままに出していけば良いのではないかと思います。箴言に「人を恐れるとわなにかかる」(29:25)とあります。主を畏れて、人を恐れず、勇気を出して、パウロと同じように、励ましを受けるために交わりを求めていく者となりましょう。

3. パウロは神のあわれみを負債と感じ、その返済の責任を果たそうとした

  • パウロがローマ行きを切望した理由はもうひとつありました。それは14節にあるように、「返さなければならない負債として、福音を宣べ伝えるべく責任を感じていた」ということです。「返さなければならない負債」とは、お金で言えば「借金」のことです。借金は必ず返さなければなりません。パウロは「たがいに愛し合うことの外は、何人にも借りがあってはならない」と述べています(ローマ13:8)。「借り」は負い目なのです。
  • 旧約聖書の神のトーラーの中にある福祉理念の中に、神に特別に祝福された者としての自覚を促すかのように、より多く祝福された者、また強い者は、弱い者の弱さを担う負債感が触発されています。それは永遠に払い切れない代価で神に買い取られ、祝福という負債を持った者が持つ自覚的な負債感です。
  • 私の家庭で里子として子どもを預かるようになって、4年が経ちました(1994年の時点)。なぜそんな働きをするようになったのかと言えば、その動機は伝道のためではありません。それは私の家庭を主があわれんでくださり、祝福してくださったので、その恩返しとして、負い目として、借金を返すような気持ちから、家庭が崩壊してその犠牲となった子どものために何かをしてあげたいと思ったからです。
  • パウロの場合の負い目とは何だったのでしょうか。使徒パウロはローマ人への手紙1章14節で「私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。」と述べています。このことばは、パウロの宣教の務めが主に対する負債感から来ていることを表わしています。

【新改訳改訂第3版】Ⅰコリント9章16~17節
16 というのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったなら、私はわざわいに会います。
17 もし私がこれを自発的にしているのなら、報いがありましょう。しかし、強いられたにしても、私には務めがゆだねられているのです。

  • なぜ、「福音を宣べ伝える」ことがパウロにとってどうしてもしなければならないことなのでしょうか。おそらく、それは以下のような理由からです。

【新改訳改訂第3版】Ⅰテモテ1章13~16節
13 私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。
14 私たちの主の、この恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに、ますます満ちあふれるようになりました。
15 「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。
16 しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。

  • パウロが「返さなければならない負債を負っている」というのは、主から受けたあわれみのゆえであったことが分かります。これは聖書的な「聖なる負債感」であり、主から限りない祝福を受けた者の自然な表れなのだと信じます。私にとって、あなたにとっての「負債感」とは何でしょうか。

1994.9.25


2017.1.19


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