政治の論理と肉親の情の相克に苦しむダビデ
サムエル記の目次
43. 政治の論理と肉親の情の相克に苦しむダビデ
【聖書箇所】 18章1節~19章8節
はじめに
- 政治の世界(それは神の国にかかわる政治であったとしても)、それは決してクリーンな世界ではありません。冷酷、非情の世界です。18章1節から19章8節には、王としての政治的立場と肉親の情との相克に苦しむダビデの姿が浮き彫りにされています。
1. アブシャロムとの全面戦争を余儀なくされたダビデ
- ダビデはマハナイムを自分の陣営の拠点としながら、エフライムの森においてアブシャロムとの全面戦争を余儀なくされます。ダビデは軍の部隊を三つに分け、それぞれヨアブとアビシャイとイタイにその指揮を任せます。その際にダビデが彼らに言った言葉の中に、すでに自分の王としての立場と自分の息子に対する情との相克に悩んでいる姿を見ます。
- ダビデはアブシャロムの命の安全を求めて、5節で次のように言います。
【新改訳】
「私に免じて、若者アブシャロムをゆるやかに扱ってくれ。」
【新共同訳】
「若者アブサロムを手荒には扱わないでくれ。」
【口語訳】
「わたしのため、若者アブサロムをおだやかに扱うように。」
「ゆるやかに」「おだやかに」と訳されたのは「アト」(אַט)です。「ゆっくりと、ゆるやかに、穏やかに、優しく」を意味することばで、旧約聖書の中ではわずか5回しか使われていない副詞です(創世記33:14/Ⅱサムエル18:5/Ⅰ列王21:27/ヨブ15:11/イザヤ8:6)。ここでは父親としてのダビデの息子に対する愛情がにじみで出ている語彙と言えます。なぜなら、戦いにおいて兵士たちは冷酷、非情であることを自分も数多く体形していたからかもしれません。
2. 戦いの論理の中に生きるヨアブとその部下たち
- エフライムの森での戦いはダビデ側にとって優勢でしたが、アブシャロムの死をもってクーデターは失敗に終わります。戦いの部隊は生きるか死ぬか、敵か味方か、相手を倒さなければ自分が死ぬという明解な論理の世界です。そうした過酷な状況の中で、ダビデの軍の将軍であったヨアブはダビデの命令に反して、非情にもアブシャロムを殺してしまいました。アブシャムのその悲惨な死は、そのときのヨアブが異常な心理の中にあったことを物語っています(18:10~17)。
- ダビデ王国の体制を回復し、維持するために命を賭けて戦う部下たちとは対照的に、ダビデは自分の息子の安全でした。部下たちはこの戦いが主によって勝利のうちに終結したことをダビデに伝えるために、ヨアブはクシュ人を遣わそうとしますが、祭司ツァドクの息子アヒマアツもその伝令の役を買って出ます。最初にダビデのもとに到着したのはアソマアツでしたが、ダビデの最初に発した「若者アブシャロムは無事か」との声に唖然として言葉をにごし、真実を告げることが出来ませんでした。次にダビデのもとにやって来たクシュ人に対してもダビデは同じ言葉をかけますが、そのクシュ人はアブシャロムを王の敵として位置づけ、ダビデに真実を告げました。
- ダビデは「身震いして・・泣いた」とあります(18:22)が、「身震いした」という動詞は「ダーザグ」(דָזַג)という原語で、「慟哭する、わななく」という意味です。
''&color(purple){3. ダビデ王に対するヨアブの直言''
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- 「わが子アブシャロム。わが子アブシャロム。ああ、私がお前に代わって死ねばよかったのに。アブシャロム。わが子よ。わが子よ。」と大声で泣き続けて、ダビデがアブシャロムのために、喪に服しているということがヨアブに報告されたとき、ヨアブはダビデに直言しました。
【新改訳改訂第3版】Ⅱサム19章5~7節
5「あなたは、きょう、あなたのいのちと、あなたの息子、娘たちのいのち、それに、あなたの妻やそばめたちのいのちを救ったあなたの家来たち全部に、きょう、恥をかかせました。
6 あなたは、あなたを憎む者を愛し、あなたを愛する者を憎まれるからです。あなたは、きょう、隊長たちも家来たちも、あなたにとっては取るに足りないことを明らかにされました。今、私は知りました。もしアブシャロムが生き、われわれがみな、きょう死んだのなら、あなたの目にかなったのでしょう。
7 それで今、立って外に行き、あなたの家来たちに、ねんごろに語ってください。私は【主】によって誓います。あなたが外においでにならなければ、今夜、だれひとりあなたのそばに、とどまらないでしょう。そうなれば、そのわざわいは、あなたの幼いころから今に至るまでにあなたに降りかかった、どんなわざわいよりもひどいでしょう。
- このヨアブの直言はダビデの心を動かしました。そしてダビデは王として凱旋して帰還する兵士たちを迎えたのです。
- 王としての立場と私情の立場の相克に苦しむダビデ、しかしその相克の軍配は王としての立場が優先される必要があったのです。父ダビデが息子アブシャロムを思う気持ちは、ヨアブが自分のいのちを賭けて戦った部下たちへの気持ちは同じなのです。しかし聖書は、ダビデが一国の王として、国の体制を維持しそのためにいのちを賭けている者たちを、肉親の情よりも優先せざるを得なかったダビデの苦しみの心境を如実に描いているのです。
2012.8.14
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