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権力者が犯す過失のような悪

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伝道者の書は「光なき人生の虚無から、まことの光に生きることを指し示す」最高のテキストです。

10. 権力者が犯す過失のような一つの悪

【聖書箇所】10章1~20節

ベレーシート

  • 9章17節~10章20節には、一見「箴言」と間違えてしまうような種々の格言がまとめられています。しかし、そこには箴言には一度も登場することのないフレーズ、つまり「コーヘレット」(伝道者)が繰り返し使ってきた「日の下に」「日の下で」という最後のフレーズが登場しています(ちなみに、伝道者の書では全27回)。以下がその箇所です。今回はその箇所を取り上げます。

【新改訳改訂第3版】伝道者の書10章5~7節
5 私は、日の下に一つの悪があるのを見た。それは権力者の犯す過失のようなものである。
6 愚か者が非常に高い位につけられ、富む者が低い席に着けられている。
7 私は奴隷たちが馬に乗り、君主たちが奴隷のように地を歩くのを見た。

【新共同訳】
5 太陽の下に、災難なことがあるのを見た。君主の誤りで
6 愚者が甚だしく高められるかと思えば/金持ちが身を低くして座す。
7 奴隷が馬に乗って行くかと思えば/君侯が奴隷のように徒歩で行く。


●6節の「富む者」(新改訳)、「金持ち」(新共同訳)とは、文脈から考えるなら、真に支配力、統治力、指導力を有している知恵ある人を指しています。そのような者が低い地位にあり、愚か者が非常に高い地位についているという現実をコーへレットは見て、日の下にある「一つの悪」だとしているのです。


1. 位打ち

  • 「位打ち」ということばがあります。力量のない人がトップに立った結果、その地位そのものがその人を打ってくるという意味です。サウル王は、ペリシテ人との戦いのためにイスラエルの人々が求め、そして神がその求めを許容されて選ばれた王でしたが、その終わりはまことに惨めな姿をさらしています。
  • サウルは王とならなければ、惨めな生涯を送ることはなかったのかもしれません。イスラエルにおいては、王は神の代理者という、普通の世俗の王とは異なるあり方が厳しく問われました。そのあり方とは「主の御声に聞き従う」ということです。サウルはこのあり方に合格することができませんでした。「位打ち」された気の毒な王でした。また、サウルに代わる次の王ダビデは、知恵のある真の指導者としての資質を備えていましたが、最初はサウルのしもべでした。
  • 15節「愚かな者の労苦は、おのれを疲れさせる。彼は町に行く道さえ知らない。」とありますが、それは「愚か者は目標に到達する方法を知らない」という意味です。

2. 知恵を有効に働かせる

  • 「愚か者」が高い地位につけられる場合、真に「知恵ある者」はその下でなすべきことがあります。

(1) 冷静さ(落ち着き)を常に保つこと(10:4)

【新改訳改訂第3版】伝道者の書10章4節
「支配者があなたに向かって立腹しても、あなたはその場を離れてはならない。冷静は大きな罪を犯さないようにするから。」

【新共同訳】
主人の気持があなたに対してたかぶっても/その場を離れるな。落ち着けば、大きな過ちも見逃してもらえる。


●単に、冷静さを保つだけでなく、支配者の立腹に対して、自分の持ち場を簡単に離れてはならないことが諭されています。

(2) 心の中でリーダーを呪って、企んではならない

  • 上に立つ者が賢いリーダーシップを発揮するならば安定した社会となりますが、上に立つ者が「愚かな者」である場合、あるいは「あなたの王が子どもである」場合にはわざわいです。ここでの「子ども」と訳されたヘブル語「ナアル」(נַעַר)は、赤ん坊から結婚する年齢までの広い範囲に使われる語彙です。若くて経験の足りない者に効果的な指導力を期待するのは無理です。そしてその取り巻きが堕落している場合はなおさらにわざわいです。
  • とはいえ、「伝道者の書」の作者は、革命的な思いを抱いて秘密裏の企みを抱くことがないように諭しています。なぜなら、「空の鳥がその声を持ち運び、翼のあるものがそのことを告げるからだ」(20節)としています。

(3) 入念に、そして注意深く備える

  • 支配者の立腹に対して、自分の持ち場を簡単に離れてはならないだけでなく、自分の時に備えて、入念な準備をすることが諭されています。

【新改訳改訂第3版】伝道者の書10章8~10節
8 穴を掘る者はそれに落ち込み、石垣をくずす者は蛇にかまれる。
9 石を切り出す者は石で傷つき、木を割る者は木で危険にさらされる。
10 もし斧が鈍くなったとき、その刃をとがないと、もっと力がいる。
しかし知恵は人を成功させるのに益になる。


●新共同訳は10節を以下のように訳しています。
10 「なまった斧を研いでおけば力が要らない。知恵を備えておけば利益がある。」

  • モーセの後の指導者ヨシュアが約束の地カナンに侵入する際に、入念な準備をしました。また、エルサレムの城壁再建の志を与えられたネヘミヤも実に用意周到な準備をしていたのです。それゆえ、いざ道が開かれたとき、敵の妨害にもひるむことがありませんでした。主にあるすべての仕事には、常に、注意深さと用意周到な備えが必要なのです。それがない場合には、すべて空しい結果をもたらすことになるのです。


2016.3.23


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