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瞑想Ps1/A

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瞑想Ps1/A

  • 詩篇を味わっていく上で、どうしても知っておかなければならないことがあります。それはイスラエルの歴史におけるバビロン捕囚という出来事とその経験によってもたらされた実です。それは失敗の経験であり、その経験なしにはイスラエルの民がみことばを愛するという意識改革はあり得なかったのです。彼らは捕囚という経験を通してはじめて、トーラー(モーセの律法)を読み、瞑想し、みことばをなによりも尊んで研究するようになりました。ですから、捕囚という経験はイスラエルに対する主のあわれみを知る上でどうしても必要な神の配剤(懲戒)でした。
  • 詩篇が現在の形に結集するまでには多くの時を経ています。ダビデの時代に改革された礼拝のあり方は、モーセの幕屋での礼拝とは全く異なるものでした。それは音楽を伴う賛美礼拝であり、賛美リーダーが立てられ、やがて、聖歌隊を伴う礼拝がなされました。それはソロモン時代に神殿礼拝として実現します。そのときに歌われたものが数多くあったと思われますが、詩篇の多くは捕囚後にまとめられたと考えられます。みことば賛歌と言われる詩篇は特にそうです。
  • 詩篇第1篇にある、幸いな人とは「主のおしえを喜びとし、昼も夜も口ずさむ」(2節)者となることです。健康であることが何よりも幸せ、というこの世の幸福観とは全く異なります。捕囚前のイスラエルの民に「主のおしえを喜びとし、昼も夜も口ずさむ」者はほとんどおりませんでした。捕囚という辱めの経験を通って、はじめて、みことばに目を向け、悔い改めへと導かれたのです。
  • 「昼も夜も」とは文字通り、一日中、絶えず、という意味です。あるいは、順境の時や逆境の時とも考えることが出来ます。毎日、神のみことばを瞑想するにはかなりの集中力が要りますし、生活そのものがみことばではじまり、みことばに終わるというライフスタイルを習慣づけるためには、パラダイム・シフト(思考の転換)が求められます。そして、このようなライフスタイルは、神との関係において、強力な土台を築くことになると信じます。そのような人は「水路に植えられた木のように、やがて時が来ると実を結び、・・何をしても栄える」という驚くべき祝福にあずかることができるとしています。なんという幸いなことでしょうか。私もそのような祝福にあずかりたいと心から願っています。
  • 最近、自分の中に「みことばを喜びとし、昼も夜も口ずさむ」というライフスタイルを構築したいという強い渇きが起されています。詩篇の瞑想をはじめてみて、2、30分程度では「喜びとする」ほどの恵みの鉱脈に行き着くことができないことがわかってきました。少なくとも朝の2時間の集中した瞑想が自分には必要だと感じはじめています。そうでないと、一日中、それを「口ずさむ」ということは私にはできません。牛は食物を一日に十時間ほど反芻するといわれます。まさにそのようにみことばを反芻し、噛み続けることで、はじめてみことばが「私のうわあごになんと甘い」ということを経験できるように思います。
  • みことばをじっくりと、時間をかけて噛み、味わうことをせずに、なにか別のものー例えば、奉仕や働きなどーで心を満たそうとするとき、みことばの本来の味が分からなくなり、味わえなくなってしまうのです。詩篇の作者が「主のおしえを喜びとし、昼も夜も口ずさむ」という瞑想の経験を、自分の生活の中にもっともっと取り入れ、時間をかけて味わってみたいと思うようにさせられています。
  • 詩篇19篇や詩篇119篇などに見られるように、なぜ、作者があれほどまでにみことばを愛し、慕うのか。それはみことばの本当の味を、その美味しさを体験したからに他なりません。みことばの味わいを楽しむこと、みことばを瞑想すること、そこから自ずと多くの素晴らしい、また今日私たちに必要とするメッセージが産み出されるに違いないと信じます。
  • 忙しさと浅薄さが横行する今の時代においては、「昼も夜も口ずさむ」というマリヤ型のライフスタイルは時代に逆行するかもしれません。そのようなライフスタイルを取り戻すことは決して容易ではありません。しかし、神が私たちを深みに漕ぎ出すように招いておられるように思われるのです。<マルタ型>のライフスタイルから<マリヤ型>のライフスタイルへ、これこそ、深みに漕ぎ出すようにとの神の招きであると信じます。イエスはマリヤをして「良いほうを選んだ」と称賛されたことは意味深いと思います。新しく始まる詩篇の瞑想の旅が、迷走に終わることなく、より多くの益をもたらすものとなるように、祈りつつ歩みたいと思います。

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