瞑想Ps75/B
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瞑想Ps75/B
- 詩篇75篇のキーワードを「角を高く上げられる」としたいと思います。この「角を高く上げられる」ことと、「主の御名は近くにある」ということは密接な関係があると信じます。[角」とは、力を表わします。幕屋の中の祭壇の四隅にはそれぞれ「角」があります。いけにえをささげるとき、神の力が賦与されるからだと信じます。私たちも主イエスの十字架の血潮は神の力を受ける土台と言えます。
- 神は「悪者どもの角を、ことごとく切り捨て、正しい者の角は、高く上げられます」(10節) このことばに「逆転の恵み」を歌ったマリヤの賛歌を想起させます。
1:51 主は、御腕をもって力強いわざをなし、心の思いの高ぶっている者を追い散らし、
1:52 権力ある者を王位から引き降ろされます。低い者を高く引き上げ、 - 1:53 飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせないで追い返されました。
- 特に、51節の「主は、御腕をもって力強いわざをなし、心の思いの高ぶっている者を追い散らし、権力ある者を王位から引き降ろされます。低い者を高く引き上げ、飢えた者を良いもので満ち足らせ、・・・」は、詩篇75篇10節を思わせます。
- 使徒パウロはエペソ人への手紙で、神の全能の力を、罪過と罪の中に死んでいた私たちを、キリストとともに「生かし」「よみがえらせ」「天の所に座らせられた」と言っています。この「天の所(神の右の座)に座らせられた」ということは、私たちが神によって高く上げられた」ということです。そこは権威と支配と力の座であり、また、神にとって最も信任(期待)されている地位(立場)です。私たちがキリストとともにこのような立場に置かれていることに目が開かれるならば、より神の力を表わす者となるに違いありません。ただ、「座す」というライフスタイルが求められています。「歩む」前に、「立つ」前に、「座す」ということの重要性に目が開かれる必要があると思います。それは、主のために忙しく立ち回っていたマルタの生き方ではなく、イエスのもとにじっと座っていたマリヤのスタイルです。ここに「高く上げられる」秘訣があると信じます。