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礼拝用語Ps78

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詩78篇「守る」 נָצַר ナーツァル

(カテゴリー: 従順)

7節「彼らが神に信頼し、神のみわざを忘れず、その仰せを守るためである。」(新改訳)

Keyword; 「守る」 keep, observe, obey,
25:10/34:13/78:7/105:45/119:2, 22, 33, 34, 56, 69, 100, 115, 129, 145

  • 「守る」と訳されているナーツァル(נָצַר)は、神が人を「守る」場合には、英語訳のNIVではprotectが当てられ、人が神のおきてを守る場合にはkeepが当てられています。神が人を「守る」と言う場合、防衛の保障を意味しますが、人が神との約束、あるいは神の律法を「守る」という場合には、神とのかかわりを保つことに他ならないからです。特に、詩119篇における「守ります」という礼拝用語は、自主的・主体的なかかわりにおいて、「愛します」と同義的意味合いをもっています。「おきてを守る」というのは、何か窮屈で、自由のない束縛や義務感を想像します。しかし、詩119篇では「守る」ということが当為であるとともに、意欲を表す重要な言葉となっています。つまり「守る」とは、神ご自身のことばである戒め(律法)に喜んでお従いすることを意味しているのです。
  • イエス・キリストが最後の晩餐の席で弟子たちに語った「新しい戒め―あなたがたは互いに愛し合いなさいー」があります。しかも、その相互愛には「わたしがあなたがたを愛したように」という愛が前提となっています。イエスは、「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。」、「だれでも、わたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます」とも語られました(ヨハネの福音書14章21~23節)。
    ここでも、「愛する」ことと「神の戒めを守る」ことが同義とされています。
  • 詩78篇では、作者が「昔からのなぞ」について語ろうとしています。「なぞ」とは、不可解、神秘、私たちの理性では納得できない事柄であり、あり得ないこと、という意味です。その内実は、神と神によって選ばれた民との関係についてのものであり、神がなしてくださった驚くべき恵みを忘れて、繰り返し神に背き、幾度も神を無視しようとしてきたにもかかわらず、神はその民に見切りをつけてしまうことなく、見捨てることもなく、歴史を貫いて、忍耐とあわれみをもってかかわってくださったということ・・・これがこの詩篇のいう「昔からのなぞ」です。この「なぞ」が語られる目的が7節に記されています。それによれば、「彼らが神に信頼し、神のみわざを忘れず、その仰せを守るためである」としています。神の「なぞ」に目が開かれるならば、おのずと守るべきことが、愛すべきことにより近づけられるのだと信じます。これこそが神の恵みの業だと信じます。
  • ナーツァル(נָצַר)の類義語にシャーマル(שָׁמַר)があります。ちなみに、シャーマル(שָׁמַר)は、詩119篇の4, 5, 8, 9, 17, 34, 44, 55, 57, 60, 63, 67, 88, 101, 106, 134, 136, 146, 158, 167, 168で使われています。

             

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