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第二次伝道旅行 (3) ルデヤの回心

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25. 第二次伝道旅行 (3) ルデヤの回心

【聖書箇所】 16章11節~15節

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ベレーシート

  • ピリピにおいて、主は二人、それぞれ女性と男性の二人を救っただけでなく、彼らの家族をも救われた。そしてピリピの教会が誕生しました。この教会がパウロの宣教の働きを経済的に支えることになっていきます。ピリピ人への手紙4章15~18節参照。
  • 今回は、使徒16章11~15節にある「ルデヤの回心」に注目します。そこに働かれた神の導きを思い巡らしたいと思います。

1. 「私たち」という人称代名詞

  • 使徒16章10節に初めて登場する「私たち」という複数の人称代名詞は、今回の箇所においても多く使われています。16章では10節の他に、11、12、13、15(原文にはあります)、16節の合わせて5回出てきます。これはルカを含めた言い方です。しかし、17章から突如「私たち」は消えて、20章5節で再び見出します。つまり、ルカはピリピに居残ったということが考えられます。その理由は特に記されてはいませんが、パウロの一行とは一時離れたようです。

2. 紫布の商人、ルデヤとの出会い

  • 「私たち」の一行は、ピリピの町に幾日か滞在しました。「滞在した」は分詞形で、その主動詞は次節(13節)の「出かけた」という動詞です。新改訳ではその動詞を分散させて「安息日に、私たちは町の門を出て、祈り場があると思われた川岸に行き」と訳していますが、文章としてはそこで切れます。そして接続詞の後に「話した」というもうひとつの主要動詞があります。
  • 聖書を原文で確かめることの利点の一つは、文章の構造(からくり)が分かるというこです。いろいろな情報をひとつの文節の中に収めようとして、説明的な文節が多くあります。主要動詞は何かを確かめると、文章全体の主要点が見えてきます。修飾的な説明文を取り除くことで、煩わされることなく文章の柱が把握することができます。
  • 「私たち」一行は、祈り場に来ていた婦人たちに語り続けました。しかしそこで彼らの語ることに耳が開かれた人は一人でした。14節にその人のプロフィールが紹介されています。彼女は「テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤ」という女性でした。重要なことは、主がその彼女に働きかけたという事実です。
  • ルカはその事実を次のように記しています。

    「・・ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた。」(14節)

  • ここでの主動詞は、主が彼女の「(心を)開いた」(「ディアノイゴー」διανοίγω, アオリスト)です。「(心を)留めるように」は文法的には不定詞が使われています。つまり、主はルデヤがパウロによって語る(分詞)ことに、関心を持つ(寄せる、抱く)ように、主が彼女の心を開かれたということです。パウロの語るのを祈り場に集まった婦人たちも聞いていたはずですが、重要なことは、その中でただひとりルデヤの心に、主が働かれたということなのです。その理由は秘義ですが、出会いの背後に主の不思議な御計画が隠されています。出会いの神秘です。
  • ちなみに、「ディアノイゴー」διανοίγωは、ルカの特愛用語。新約で8回中、7回ルカが使っています。他の1回はマルコ7:34でイエスは、耳が聞こえず、舌のまわらない人をいやす時に「エパタ」、すなわち「開け」と言われました。ルカ文書では、福音書の2:23/24:31, 32, 45、使徒の働きの7:56/16:14/17:3を参照。「ディアノイゴー」διανοίγωには単に「開く」という意味だけでなく、事柄の意味を説明し、理解させるという意味合いがあります。

3. ルデヤの献身(あるいは、召命)

  • 15節には、ルデヤとその家族が共にバプテスマを受けたことが記されていますが、同時に、彼女の心の中に献身の思い、ないしは、ある種の召命が与えられたように思われます。

    そして、彼女も、またその家族もバプテスマを受けたとき、彼女は、「私を主に忠実な者とお思いでしたら、どうか、私の家に来てお泊まりください」と言って頼み、強いてそうさせた。

  • ルデヤが語ったこのことばはとても重要だと思います。15節には三つの主動詞があります。つまり15節は三つの文節でつながっているということです。
    (1)「バプテスマを受けた」―「バプティゾー」βαπτίζω(アオリスト受動)
    (2)「頼んだ(頼み込んだ)」―「パラカレオー」παρακαλέω(アオリスト)
    (3)「強いてそうさせた」―「パラビアゾマイ」παραβιάζομαι(アオリスト中態)
  • 「忠実な者」とは「信仰のある者」「すなおな素朴な信仰」「不純な思いのない信仰」、原語は形容詞の「ピストス」πιστόςです。
  • 「お思い」(クリノー, κρίνω )は、「自分で判断すること」(現在完了形)。「クリノー」κρίνωは、本来、「さばく、決める、判断する」の意。
  • 「お泊りください」は、嘆願ではなく命令形アオリスト。原語は「メノー」μένωで、「とどまる」「泊まる」の意。
  • 「頼んだ」の「パラカレオー」παρακαλέωは、「傍らに」(パラπαρα)と「呼ぶ」(カレオーκαλέω)の合成語です。これが名詞になると、「バラクレートス」παρακλητος、つまり「助け主」(弁護者)となります。
  • 「強いてそうさせた」は「強引に、許容する、無理やりに」の意。
    παραβιάζομαιπαραは「~を越え」、βιάζομαιは「押しつける、無理に承知させる」ことです。原文には「私たちを」という代名詞が入っています。この行為について、ルデヤの性格はかなり強引だと考えてはいけないように思います。思うに15節の彼女の発言は、主を知り、主の福音にあずかった者として、自分がさらに深く主について知り、主のために何か意味のあることをしたいという強い意志が彼女のうちに起こったことを伺わせることばではなかったかということです。彼女はなぜか家長的な立場にあると同時に、「紫布の商人」という事業家でもあったということです。このことも考え合わせると、彼女がパウロの一向にした行為は理解することができます。
  • ちなみに、「強いてそうさせた」―「パラビアゾマイ」παραβιάζομαιは、新約聖書では2回しか使われていません。しかもいずれもルカが使っています。ひとつは、福音書の24:29でエマオの二人の弟子がイエスを無理に引き止めて、イエスに泊まってもらうように願いました。それはさらに深くかかわりを持って、聖書の話を聞きたいと思ったからです。そしてもうひとつは、今回の箇所です。
  • ピリピにおいては、ルデヤにしても、また看守にしても、自分だけでなく、家族も共にバプテスマを受けていることです。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」というフレーズはパウロが看守に語ったものですが、それはすでにルデヤとその家族において実証済みのことでした。
  • 「ルデヤ」という個人名の記載は、使徒16:14, 40の2箇所のみ。英語ではLydia、ギリシア語ではΛυδία、ヘブル語ではלִידְיָהと表記されます。ヘブル語による「ルデヤ」の意味は、「~で」という場所を表す前置詞の「レ」(ל)と、「手」、あるいは「川のほとり」を意味する「ヤード」(יָד)、そして「」を意味する「ヤー」(יָה)が合成された名前で、彼女が祈り場がある「川岸」に出かけてそこでパウロの語ることに耳を傾けたことで彼女の心が開かれますが、それは主がそうさせたのです。「ルデヤ」という名前は、「主が川のほとりで」という意味なのです。まさに彼女とその家族はパウロの宣教の働きを経済的にサポートして行きますが、その彼女の人生において、祈り場のあった「川岸で」主の不思議な導きを受けるという預言的な名前だったと言えます。

    2013.6.13


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