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詩篇69篇に見るメシア

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詩篇は、神と私たちの生きた関係を築く上での最高のテキストです。

10. 詩篇69篇に見るメシア

ベレーシート

  • 詩篇68篇の中に新約聖書で引用された箇所が一箇所であったのに対して、詩篇69篇では並行記事も含めると何と十二箇所もあります。不条理なメシアの受難が預言的に語られています。
アネモネ.JPG
  • この詩篇69篇の表題に「ゆりの花」(「ショーシャン」שׁוֹשַׁןの複数形「ショシャンニーム」שׁוֹשַׁנִּים)の調べに合わせてとあります。旧約聖書でこの「ショーシャン」の使用頻度数は10回。詩篇が4回(45:1/60:1/69:1/80:1ーすべて表題で使われています)、雅歌が5回(2:2, 16/4:5/6:3/7:2)、ホセア書が1回(14:5)です。詩篇における「ゆり」はメシアなるイェシュア、あるいはメシアに連帯する者たちを指しています。雅歌における「ゆり」は花婿が選んだ花嫁を意味しており、花嫁自身も「私はシャロンのサフラン、谷のゆりの花」(2:1)と歌っています。山上の説教で語られた「野のゆり(複数)」は、神によって選ばれたイスラエルの民に掛けて使われています。
  • 「ゆり(野のゆり)」は単数形であっても、また複数形であっても、いずれも「神に選ばれた者の象徴」です。

1. 新約聖書に引用されている詩篇69篇

以下の引用はすべて【新改訳改訂第3版】より

(1) 4節⇒ヨハネの福音書15章25節

これは、『彼らは理由なしにわたしを憎んだ』と彼らの律法に書かれていることばが成就するためです。

(2) 9節⇒ヨハネの福音書2章17節

弟子たちは、「あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い起こした。

●これは神の家に対する熱意(「キヌアー」קִנְאָה)が結果的に自分に苦しみをもたらすという意味。

(3) 21節⇒マタイの福音書27章34節、48節、マルコの福音書15章36節、ルカの福音書23章36節、ヨハネの福音書19章28~30節

ヨハネ19:28 この後、イエスは、すべてのことが完了したのを知って、聖書が成就するために、「わたしは渇く」と言われた。
19:29 そこには酸いぶどう酒のいっぱい入った入れ物が置いてあった。そこで彼らは、酸いぶどう酒を含んだ海綿をヒソプの枝につけて、それをイエスの口もとに差し出した。
19:30 イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した」と言われた。そして、頭をたれて、霊をお渡しになった。

(4) 22節⇒ローマ人への手紙11章9~10節

11:9 ダビデもこう言います。「彼らの食卓は、彼らにとってわなとなり、網となり、つまずきとなり、報いとなれ。
11:10 その目はくらんで見えなくなり、その背はいつまでもかがんでおれ。」

(5) 25節⇒マタイの福音書23章38節、ルカの福音書13章35節、使徒1章20節

マタイ 23:38 見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。
使徒 1:20 実は詩篇には、こう書いてあるのです。『彼の住まいは荒れ果てよ、そこには住む者がいなくなれ。』また、『その職は、ほかの人に取らせよ。』

●この預言の前にイェシュアは「わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。」と語っています。


●メシアは神の民であるユダヤ人から「ゆえなく憎まれ、そしられ」ました。彼らがメシア・イェシュアを憎み、そしり、侮辱したのは、イェシュアの語ることばにつまずいたからです。このことについて使徒パウロは、彼らがつまずいたのは彼らが倒れるため(=滅ぼされるため)ではなく、救いが異邦人におよぶためであるとしています。言うなれば、イスラエルは神によってかたくなにされたのです。しかし、彼らは決して神から捨てられたのではありません。神の彼らに対する召しは変わることがないのです。それゆえ、メシアが再臨される直前にイスラエルの民は悔い改め、神に受け入れられるのです。これはまさによみがえりの出来事に匹敵します。エゼキエルはこの出来事を、「枯れた骨」のヴィジョンとして預言しています(37章)。


2. メシアである「私」に連帯する者たちのための祈り

  • 詩篇69篇では、「私」で表されるメシアが、自分と連帯する者たちのためにとりなしの祈りをしています。すべてが複数形です。

(1) 「あなたを待ち望む者たち」(6節)
「待ち望む」(「カーヴァー」קָוָה)の分詞形
(2) 「あなたを慕い求める者たち」(6節)
「慕い求める」(「バーカシュ」בָּקַשׁ)の分詞形
(3) 「心の貧しい人たち」(32節)
「貧しい(へりくだった)」(「アーナーヴ」עָנָו)
(4) 「神を尋ね求める者たち」(32節)
「尋ね求める」(「ダーラシュ」דָּרַשׁ)の分詞形

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(5) 「貧しい者」(33節)
「貧しい」(「エヴヨーン」אֱבְיוֹן)
(6) 「捕らわれ人」(33節)
「捕らわれ人」(「アーシール」אָסִיר)
(7) 「主のしもべの子孫」(36節)
「しもべ」(「アーヴァド」עָבַד)
(8) 「御名を愛する者たち」(36節)
「愛する者」(「アーハヴ」אָהַב)の分詞形


●イェシュアが十字架にかかられる前の晩に、自分のためだけでなく、弟子たちのために、そしてまた彼らを通して導かれる者たちのためにも御父に祈りました(ヨハネ17章)。彼らはメシアなるイェシュアと連帯する者たちです。


2016.8.2


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