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詩22篇/B

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瞑想Ps22/B

  • 最初のことば、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」は、イエスが十字架で語られた七つのことばの真ん中に位置することばです。最初の「父よ、彼らをお ゆるしください。」次の「あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。そして「あなたのそばにあなたの息子がいます」と、自分ことよりも周囲の人々を気づかうイエスのことば。しかし、正午から午後三時にかけて、突然黒雲が空を覆い、恐るべき沈黙と暗黒が全地を覆った後で、イエスの口から出たことばが今朝の「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」(実際は、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」)でした。ちなみに、そのあとのことばは「わたしは渇く」、「完了した」、そして「父よ、わが霊を御手にゆだねます。」
  • 「わが神、わが神」と叫ぶまでの三時間の暗黒の間、イエスのうちに何が起こっていたのでしょうか。これまで、御子イエスは、神を父と呼んでいました。「わたしがいつも父と家にいるのをご存じなかったのですか」「わたしと父は一つです」「わたしを見た者は父を見たのです」「わたしがあなたがたに言うことばは、わたしが自分から話しているのではなく、父から聞いた」「わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざをしておられる」等というふうに、いつも御子は御父とともにおられました。呼べば応えられるところに御子はおられました。ところが、イエスはこの三時間の間、永遠に親密な愛のかかわりをもっておられた父から見捨てられる経験をしたのです。地獄とは、まさに、かかわりを必要する存在が完全にそのかかわりを見捨てられるという現実だと信じます。
  • 見捨てられるという呪いを私たちに代わって味わってくださったイエスが、もしも「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という苦しみの叫びをあげなかったとしたら、私たちにはその苦しみがどんなに耐えがたいものであったかを知ることはできません。神の正義と愛が極限において現わされた十字架の出来事の中に、御子が私たちの罪のために呪われ、父から見捨てられた叫びがあったことを忘れてはならないと肝に命じたいと思います。
  • 御子イエスは詩22篇の最初のことばだけでなく、この詩篇全体をおそらく知っておられたことと思います。ですから、「わが神」のあとに、「わたしは渇く」という霊的な渇きを覚えられ、御父との愛の交わりへの渇きを覚えられたと思います。短時間の中で御子は苦しみの中で最後の瞑想の時をもったのではないかと推察します。そして、御父に完全にゆだねるという試みをクリアできたのだと思います。
  • 最後に、この詩篇は私たち人間が遭遇するありとあらゆる苦しみの経験の極限を記し、また、同時に、その中で神を信頼するといういのちの輝きが顕著に見られる詩篇だと思います。私にとっての課題は、御子が御父を信頼したことによるインマヌエルの勝利を、日々味わうことです。

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