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詩41篇/B

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瞑想Ps41/B

  • 詩篇41篇は「幸いなことよ」で始まる「アシュレー詩篇」の一つです。第一巻では、1:1, 2:12,33:12, 34:8, 40:4 そして41:1 の6箇所に出てきます。いずれも、心から主のみことばを喜びとし、主を信頼し、罪と咎を赦され、主を自分の神とする者は幸いだとありますが、この詩篇41篇はそれとは異なり、「弱い者への連帯、あるいは共感の幸い」を述べている点が特徴的です。
  • 「弱っている者に心を配る人」(新改訳)「弱い者に思いやりのある人」(新共同訳) 「弱者に心を向ける人」(岩波訳)とさまざまな訳がありますが、関根訳では「そのことばを慎む者」が幸いだと訳しています。この最後の訳は意外な訳ですが、この詩篇の後半を読むならば納得できます。作者を苦しめている者たちは、すべて「ことば」によって傷つけている現実が記されているからです。ですから、「ことばを慎む」ことはとても大切です。しかし、これがとてもむずかしいことなのだと思います。弱っている者に心を配っているように思っていても、必ずしも相手はそのようには受け止めていないことが多いものです。私も多くことばで相手を傷つけていることが多いように思います。
  • 「弱っている者に心を配る」者となるためには共感が必要です。同じ、あるいは似た苦しみや境遇を経験することなしに、人への心配りをすることはとても難しいのだと思います。ですから、「弱っている者に心を配り、ことばを慎むことができる」というのは、人生の成熟した姿だとも言えます。その点では、私はまだまだ未熟者です。
  • 使徒パウロはコリントの教会を建て上げる働きにおいて大変な苦労しました。自分の権威を受け入れ、認めてくれない人たちからの誤解と非難を受け、不信感をもたれたからです。信頼のないところに教会を建て上げることは不可能です。そんな教会に対しても、パウロは第二の手紙の中で自分の心情を次のように書きました。「私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。神はどのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。」(コリント第二、1章3,4節)
  • パウロほどありとあらゆる苦難の経験をした者はいません。コリント第二の11章には彼が経験した苦難のカタログが記されています。それゆえ、彼は多くの人に共感できる者となることができました。それは神のみこころでした。使徒の働き9章にあるパウロに対する神の召命には、ダビデと同様、「苦しみを味わう」ということが最初から召しとして含まれていたのです。
  • 苦難に耐え抜く慰めを人に与えることのできる人は、ほんとうに幸いな存在です。しかも、このパウロのコリント第二の1章ことばは、詩41篇1節の「新約版」と言えるかもしれません。

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