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詩83篇/B

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瞑想Ps83/B

  • 1節「神よ。沈黙を続けないでください。黙っていないでください。神よ。じっとしていないでください。」

◆この詩篇において神が終始、沈黙しています。なぜ、神は黙っておられるのか、それが私の瞑想のテーマです。

◆神の敵たちが「心一つにして」契約を結んでいる現実、これは「バベルの塔」を建てようとした時もそうでした。あるいはイエスを拒絶し殺そうとした時にも、考え方の違ったサドカイ人とパリサイ人が手を組みました。詩2篇にあるように、歴史の中では神に逆らう者たちが「相ともに集まり」(2節)とあります。しかし、天の御座に着いておられる方は笑い、その者どもあざけられ、やがては神が建てられた「油注がれた神の御子」によって、彼らは「打ち砕かれ、焼き物の器のように粉々にされる」ことが預言されいます。

◆神の選びの民もその歴史の中でなんども絶滅の危機を余儀なくされました。歴史の中に立ちあがったどんな大国もすべては滅びて行きましたが、神の民はユダヤ人は滅亡の危機から救われ、守られ、やがては民族的に救われ、約束された神の御国を受け継ぐ者とされています。

◆この詩83篇では、神に逆らう者たちに対してこれこれのことをして下さいと繰り返し嘆願しています。16節では(原文を元に訳し直してみると)、「彼らの顔を恥で満たして下さい。そうすれば、主よ。彼らがあなたの御名を慕い求めるようになるでしょう。」とあります。17節後半から18節の「彼らがはずかしめを受け、滅ぼして下さい。そうすれば、彼らは悟るでしょう。・・あなただけが全地の上にいますいと高き方であることを。」と。

◆こうした祈りに対しても、神は全くの沈黙を続けています。この沈黙は何を意味するのでしょうか。主イエスが御国について語ったなかに、「良い麦と毒麦のたとえ話」があります。人々が眠っている間に彼の敵が来て、麦畑に毒麦の種を蒔いて行った。やがて麦は育ち、良い麦も毒麦もともに実った。そのときしもべたちが主人にこう言いました。「どうして毒麦が出たのでしょう。」すると主人は「敵のやったことです。」するとしもべたちは「では私たちが行ってそれを抜き集めましょうか」と言ったとき、主人は「収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、毒麦を集め焼くために束にし、良い麦の方は集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう。」と言いました(マタイ13章24~30節参照)。

◆主人が毒麦を抜き集めることをさせなかったのは、良い麦が一本たりとも抜き取らないための異常な配慮からでした。神の沈黙もこうした人の知らざる神の配慮のうちに隠されているのではないかと思います。自分の善悪の基準に従って判断しやすい私たちは、自分の判断でことをせいてはいけないことを思わされます。

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