赤めのう
1. 大祭司の胸当てに埋め込まれている12の宝石
(1) 「赤めのう」ー「ユダ部族」
ベレーシート
- 「赤めのう」(新改訳)、「紅玉髄」(口語訳、バルバロ訳)、「ルビー」(新共同訳)、「紅玉」(岩波訳、フランシスコ会訳)
- 「赤めのう」は赤い宝石です。そのヘブル語は「オーデム」(אֹדֶם)で、「アダム」と同じ語根です。「アダム」という名は、神が人に付けられた名前です(創世記5:2)。そこには男と女が含まれていました。つまり、男と女が一緒になってひとりのアダムを構成していたのです。イェシュアは最後のアダムとして、いのちを与える御霊としてあらわされます。このイェシュアのうちに永遠に生きるすべての者が、この方の満ち満ちた豊かさの中に生かされるのです。
1. 語幹(אדם)とその派生語
- ヘブル語の語根であるאדםから以下のような語彙が派生します。
- אדםから派生した語彙としての「ダーム」(דָּם)は「血」を意味します。なぜ、「ユダ部族」が「赤めのう」という最初の宝石としてエポデに刻まれているのでしょうか。ユダ部族と赤という色がどのように関係しているのでしょうか。赤はぶどう酒の色であり、また、血の色です。
2. 「赤めのう」とユダ部族とのかかわり
- 創世記49章にはイスラエル(ヤコブ)がユダを祝福したことばがあります。
【新改訳改訂第3版】創世記49章8~12節
8
ユダよ。兄弟たちはあなたをたたえ、あなたの手は敵のうなじの上にあり、あなたの父の子らはあなたを伏し拝む。
9
ユダは獅子の子。わが子よ。あなたは獲物によって成長する。雄獅子のように、また雌獅子のように、彼はうずくまり、身を伏せる。だれがこれを起こすことができようか。
10
王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。ついにはシロが来て、国々の民は彼に従う。
11
彼はそのろばをぶどうの木につなぎ、その雌ろばの子を、良いぶどうの木につなぐ。彼はその着物を、ぶどう酒で洗い、その衣をぶどうの血で洗う。
12
その目はぶどう酒によって曇り、その歯は乳によって白い。
●「王」を象徴する「獅子の子」、王の主権と力を象徴する「杖」、平和と安息を与える「シロ」。これらはすべてイェシュア・ハマシアッハ(=イエス・キリスト)を象徴しています。ちなみに、10節の「シロが来て」(「ヤーヴォー・シーロー」יָבֹא שִׁילֹה)と「メシア」(「マシーアッハ」מַשִׁיחַ)のゲマトリアは同じ数値なのです。ヘブル語は右から読むので、その文字を数値に置き換えると以下のようになります。
「シロが来て」(「ヤーヴォー・シーロー」יָבֹא שִׁילֹה)
10+2+1+300+10+30+5=358
「マシーアッハ」(מַשִׁיחַ)
40+300+10+8=358
- ユダという意味は、本来「感謝する」「賛美する」という意味ですが、創世記49章では「ぶどうの木」と「ぶどう酒」の用途についての印象的な預言があります。特に11~12節です。そこには、良いぶどうの木に「ろば」をつなぐという日常的な行動が象徴されています。しかも、着物や衣を赤い「ぶどう酒」で洗うとあるように、日々の生活においてキリストの尊い血潮を必要とすることで、主に感謝し、主を賛美する者であることが預言されています。
- 12の宝石の配列の最初に、キリストの十字架の血潮を啓示する「赤めのう」の赤い色と、それを日々感謝して、主を賛美するという意味の「ユダ」の名前が結びついているのです。大祭司が神の前に立つとき、神の目に見える最初の配列(ヘブル語は右から左に読む)の宝石こそ、ユダ部族の名前が記された「赤めのう」という宝石なのです。
2014.4.18
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