****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

1章1節


創世記1章1節

【新改訳2017】

はじめに神が天と地を創造された。
א בְּרֵאשִׁית בָּרָא אֱלֹהִים אֵת הַשָּׁמַיִם וְאֵת הָאָרֶץ׃

「ベレーシート バーラー エローヒーム エーット ハッシャーマイム ヴェエッート ハーアーレツ」

●この節は、1章1節~2章4節aまでのタイトルであると同時に、旧新約聖書全体の総括的表題です。特に、冒頭の「べレーシート」(בְּרֵאשִׁית)は、日本語で「はじめに」とか「初めに」と訳されますが、英語では多くの場合、In the beginningと訳されます、ところが、Jeff A. Benner氏はIn the summitと訳しています。内容としては後者の方が適訳かと思われます。

1. 「ベレーシート」(בְּרֵאשִׁית)に隠されている啓示

●イェシュアは「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思って、聖書を調べています。その聖書は、わたしについて証ししているものです。」(ヨハネの福音書:5:39)と語られました。この証言はとても重要です。創世記1章1節にはそのイェシュアの存在が啓示されているのです。

(1)「知恵なるイェシュア」

●箴言8章12節には「アニー・ホフマー」(אֲנִי־חָכְמָה)と宣言したその「わたし」は、22〜27節では天地創造の前からいると宣言しています。

【新改訳2017】箴言8章22~30節
22 【主】は、ご自分の働きのはじめにそのみわざの最初にわたしを得ておられた
23 わたしは、大昔に、初めに、大地の始まりの前に、立てられていた。
24 まだ深淵もなく、水のみなぎる源もなかったとき、わたしは生み出された。
25 山が立てられる前に、丘より先に、わたしは生み出された。
26 主がまだ地も野原も、世界の最初のちりも造っておられなかったときに。
27 主が天を堅く立てられたとき、わたしはそこにいた。主が深淵の面に円を描かれたとき、
28 上の方に大空を固め、深淵の源を堅く定められたとき、
29 海にその境界を置き、その水が主の仰せを越えないようにし、地の基を定められたとき、
30 わたしは神の傍らで、これを組み立てる者であった。わたしは毎日喜び、いつも御前で楽しんでいた。

●ここにあるように、創世記1章1節以前に、すでに「知恵であるわたし」、すなわち人となられる神の御子イェシュアはおられたのです。

(2)「贖い主なるイェシュア」

●それだけではありません。彼はすでに贖い主として啓示されていたのです。人間が罪を犯しすことを神は初めから想定しておられたか否かと言えば、想定されていたと言えるのです。なぜそうと断言できるのかと言えば、答えは以下のヘブル語の「ベレーシート」に隠されているのです(赤字をクリック)。

●つまり、復活の初穂であるキリストによって、神は天と地を創造されるという神のご計画を「初め」から啓示されていたことが分かるのです。。神の目には時間を超えた俯瞰的視点によって、ご計画の全貌が見えているからです。

【新改訳2017】イザヤ46章10節
わたしは後のことを初めから告げ、まだなされていないことを昔から告げ、「わたしの計画は成就し、わたしの望むことをすべて成し遂げる」と言う。

●まさに、旧約の創造と救済のみわざは、終末になされる神のわざの型となっているのです。創世記から黙示録までに啓示されている神の永遠のご計画の全貌はすでに初めにおいて啓示されているのです。

●それゆえに、

【新改訳2017】ヨハネの黙示録22章13節
わたしはアルファであり、オメガである。
最初であり、最後である。
初めであり、終わりである。

●キリストこそ新しい創造者です。また、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(Ⅱコリント5:17)。キリストこそ「古いもの」の終わりであり、新しい世界の創造者(=初穂)でもあるのです。天地を創造された神は、復活のイェシュアのからだにおいて、新たな天地創造に着手されるということ。これが「ベレーシート」(בְּרֵאשִׁית)のことばに隠された奥義なのです。

(3)「神のご計画の目的を実現するイェシュア」

●「ベレーシート」の中に神のご計画の目的が啓示されています。その目的とは神と人がともに生きる「家」を造ることです。ヘブル語は象形文字である漢字のように文字一つ一つに意味があります。最初の文字である「ベート」(ב)それ自体に「」という意味があります。

●あるいは「בְּרֵאשִׁית」の中に、「かしら」を意味する「レーシュ」(רֵאשׁ)と「家」を意味する「べート」(בֵּית)の組み合わせを見ることができます。つまり、ヘブル語の「ベレーシート」に「かしら」である方の「家」、すなわち「神の家」を造るという目的が隠されているのです。この「家」は「エデンの園」「幕屋」「神殿」「教会」「御国」へと展開していきます。これは神のご計画にある目に見えない「新しいエルサレム」の写しとしてあらわされます。この神の目的を知ることは重要です。なぜなら、そのためにこそ神は「天と地」を創造されたからです。

●ヨハネの福音書1章16節には「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」とあります。「私たちの間に」とは「私たちの真っただ中に住む」ということを表しています。「ことばである神が私たちの真っただ中に住まわれる」こと、これが受肉の目的なのです。「住む」とは幕屋や神殿用語です。「天と地」は神と人とが住むための家(からだ)なのです。

2. 「天と地」の創造

●「天」(「シャーマイム」שָׁמַיִם)とは何か、「地」(「エレツ」אֶרֶץ)とは何か、それについては何の説明もありません。「天」とは何で、「地」とは何なのか。それについしてはやがて後節(8~10節)で明らかになりますが、「天と地」を宇宙全体を表わすものと理解するならば、神の創造の意図の的を外してしまい、創造の創世記1章全体と聖書全体そのものを分からなくしてしまう原因となります。いずれにしても、1章1節は「天と地を創造の経緯を示す」タイトルと言えます。

●ここではヘブル語特「メリズモ法」を取り上げます。「メリズモ」とは、両極(対局)の語彙を用いて、その間にある「すべて」を表す表現法です。ですから、ここでの「天と地」は、神と人とが共に住む家、その「家」に必要な「すべて」のものを神は創造されたと理解したいと思います。その「すべて」には、「目に見えるもの」も「目に見えないもの」も含まれていますが、特に重要なのが「目に見えないもの」に対してです(Ⅱコリント4:18)。なぜなら、「見えるものは一時的である」のに対し、「見えないものはいつまでも続くから」です。「見えるもの」は「見えないもの」によって支えられているからです。

3. 「創造した」(「バーラー」בָּרָא)という動詞

●「神が、天と地を創造した」の「創造した」という動詞に「バーラー」というヘブル語が使われています。旧約聖書では54回も使われていますが、このことばはしばしば言われるように、必ずしも「無からの創造」を意味しません。むしろ、この動詞の特異性は、主語が「神」(「エローヒーム」אֱלֹהִים)であるという点です。また。この「バーラー」(בָּרָא)がなぜかイザヤ書40章以降に21回も用いられています。それは、バビロン捕囚からの帰還が出エジプトの紅海と同じ奇蹟的な救いとして受け止められており、そのような神の歴史的なみわざを創造と言っているのです。

●イザヤ書43章15~21節によれば、神はかつてイスラエルを創造し、紅海の奇蹟的な救いをもたらしたように、今や神が新しきことを創造しようとしているのかを知ることができます。

【新改訳2017】イザヤ書43章15~21節
15 わたしは【主】、あなたがたの聖なる者、イスラエルの創造者(בָּרָאの分詞)、あなたがたの王である。」
16 海の中に道を、激しく流れる水の中に通り道を設け、
17 戦車と馬、強力な軍勢を引き出した【主】はこう言われる。「彼らはみな倒れて起き上がれず、灯芯のように消え失せる。
18 先のことに心を留めるな。昔のことに目を留めるな。
19 見よ、わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている。あなたがたは、それを知らないのか。必ず、わたしは荒野に道を、荒れ地に川を設ける。
20 野の獣、ジャッカルや、だちょうも、わたしをあがめる。わたしが荒野に水を、荒れ地に川を流れさせ、わたしの民、わたしの選んだ者に飲ませるからだ。
21 わたしのためにわたしが形造った(יָצַר)この民は、わたしの栄誉を宣べ伝える。

●つまり、ヘブル語の「バーラー」とは、物質的な意味ではなく、神にしかできない一連の歴史的出来事を意味しています。これはイスラエルに対する、エジプトからの救出と約束の地カナンの賦与の出来事、バビロン捕囚とそこからの帰還、律法の呪いから解放するイェシュアの十字架の死と復活の出来事、そしてキリストの再臨による御国の完成の出来事、「新しい天と新しい地における天から降りてくる「新しいエルサレム」の救いの出来事、これらすべてが「バーラー」(בָּרָא)の一語で表されるのです。つまり、旧新約聖書全体が冒頭に登場する動詞「バーラー」(בָּרָא)で覆われているのです。

●「バーラー」(בָּרָא)という動詞が神の創造的な行為を表わすものだとすれば、詩篇51篇10節(新改訳、新共同訳は12節)の「神よ。わたしにきよい心を造り、ゆるがない霊を新しくしてください」というダビデの個人的な祈りにおいて、きよい心を「造る」(בָּרָא)ことができるのも神のみわざであるという信仰告白となります。その意味において、創造信仰は「喜びのおとずれ」であり、「慰めの福音」です。「バーラー」(בָּרָא)は、常に、神の民とされた者の賛美(詩篇8, 89:13, 104:1~3, 136:3~5)、喜び(箴言8:27~29)、慰め(詩篇121:2)の源泉となっているのです。

4. 創造の神は「父なる神」

●新約聖書においては神を「父」と呼んでいますが、それは以下のように、旧約の創造の神(「エローヒーム」אֱלֹהִים)から推移していることが分かります。

【新改訳2017】イザヤ書64章8節
しかし、今、【主】よ、あなたは私たちのです。私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。私たちはみな、あなたの御手のわざです。

【新改訳2017】マラキ書2章10節
私たちすべてには、唯一のがいるではないか。唯一の神が、私たちを創造された(בָּרָא)ではないか。

【新改訳2017】申命記32章6節
あなたがたはこのようにして【主】に恩を返すのか。愚かで知恵のない民よ。主はあなたを造った(קָנָה)ではないか。主はあなたを造り上げ(עָשָׂה)、あなたを堅く立てた方(כּוּן)ではないか。

●このように、「父なる神」についての考え方は、旧約聖書の創造者の働きを受け継いでいることが確認できます。しかもその創造者は、そのすべてを「良し」と見なされます(4, 10, 18, 21, 25, 31節)。この「良し」は「トーヴ」(טוֹב)で、神の「いつくしみ深い」「恵み」を意味する語彙で、被造物に対する神の本質を意味しています。⇒「神の善(トーヴ)の世界」の「創造における神のトーヴ」を参照。


付記
ヘブル語の文法的視点からの「ベレーシートのミドゥラーシュも参照のこと。

2019.3.30
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