****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

1章16~19節


創世記1章16~19節

【新改訳2017】


16 神は二つの大きな光る物を造られた。大きいほうの光る物には昼を治めさせ、小さいほうの光る物には夜を治めさせた。また星も造られた。
17 神はそれらを天の大空に置き、地の上を照らさせ、
18 また昼と夜を治めさせ、光と闇を分けるようにされた。神はそれを良しと見られた。
19 夕があり、朝があった。第四日。

טז וַיַּעַשׂ אֱלֹהִים אֶת־שְׁנֵי הַמְּאֹרֹת הַגְּדֹלִים אֶת־הַמָּאֹור הַגָּדֹל לְמֶמְשֶׁלֶת הַיֹּום וְאֶת־הַמָּאֹור הַקָּטֹן לְמֶמְשֶׁלֶת הַלַּיְלָה וְאֵת הַכֹּוכָבִים׃
יז וַיִּתֵּן אֹתָם אֱלֹהִים בִּרְקִיעַ הַשָּׁמָיִם לְהָאִיר עַל־הָאָרֶץ׃
יח לִמְשֹׁל בַּיֹּום וּבַלַּיְלָה וּלֲהַבְדִּיל בֵּין הָאֹור וּבֵין הַחֹשֶׁךְ וַיַּרְא אֱלֹהִים כִּי־טֹוב׃
יט וַיְהִי־עֶרֶב וַיְהִי־בֹקֶר יֹום רְבִיעִי׃

1. 「光る物」の正体

●「時のしるし」を啓示する「光る物」の正体とは、イスラエルです。つまり神の時のしるしはイスラエルの以外にはあり得ません。ですからイスラエルという存在を無視して、神のご計画の時を示すものは他には皆無なのです。天体にある「光る物」、あるいは太陽と月、そして星々はイスラエルを象徴しているのです。それらは常に神のご計画を実現する媒体的存在なのです。しかもそれは、神の御子キリストであるイェシュアの栄光を示す媒体でもあるのです。そのことを預言的に啓示しているのが、ヨセフの見た夢ヨハネの黙示録12章のヴィジョンを見てみましょう。

2. ヨセフの見た夢

【新改訳2017】創世記37章5~11節
5 さて、ヨセフは夢を見て、それを兄たちに告げた。すると彼らは、ますます彼を憎むようになった。
6 ヨセフは彼らに言った。「私が見たこの夢について聞いてください。
7 見ると、私たちは畑で束を作っていました。すると突然、私の束が起き上がり、まっすぐに立ちました。そしてなんと、兄さんたちの束が周りに来て、私の束を伏し拝んだのです。」
8 兄たちは彼に言った。「おまえが私たちを治める王になるというのか。私たちを支配するというのか。」彼らは、夢や彼のことばのことで、ますます彼を憎むようになった。
9 再びヨセフは別の夢を見て、それを兄たちに話した。彼は、「また夢を見ました。見ると、太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいました」と言った。
10 ヨセフが父や兄たちに話すと、父は彼を叱って言った。「いったい何なのだ、おまえの見た夢は。私や、おまえの母さん、兄さんたちが、おまえのところに進み出て、地に伏しておまえを拝むというのか。」
11 兄たちは彼をねたんだが、父はこのことを心にとどめていた。

●ヨセフは二つの夢を見ています。一つは「私たち(ヤコブの子どもたち)は畑で束を作っていました。すると突然、私の束が起き上がり、まっすぐに立ちました。そしてなんと、兄さんたちの束が周りに来て、私の束を伏し拝んだ」という夢です。もう一つの夢は「太陽と月と十一の星が私を伏し拝んだ」という夢です。二つの夢ですが、いずれも「私を拝んだ」という点で一致しています。ヨセフが見た夢によって、彼はますます兄弟たちから憎まれるようになります。イェシュアが長老たち、祭司長たち、律法学者たちから憎まれて多くの苦しみを受けたと同じように、ヨセフの生涯とイェシュアの生涯は驚くほどよく似ているのです。そしていずれも最後は、イスラエルの子らが憎んだヨセフによって、またユダヤ人が憎んだイェシュアによって救われるという構図になっています。つまり、ヨセフはイェシュアを啓示しているということです。このことを説明するまえに、ヨセフの夢で見落としてはならないのが、「太陽と月と十一の星」が意味するものです。

●それは父ヤコブが解き明かしています。「いったい何なのだ、おまえの見た夢は。私や、おまえの母さん、兄さんたちが、おまえのところに進み出て、地に伏しておまえを拝むというのか」という言葉に言い表されています。つまり、「太陽と月と十一の星」とは、イスラエルの全家を意味しているのです。創世記1章10節にある「乾いた所」が、地におけるイスラエルの象徴であったように、14節の「光る物」も天におけるイスラエルの象徴と言えるのです。

3. 黙示録12章にある「一人の女」のヴィジョン

●黙示録12章にも「太陽と月と十一の星」が登場します。

【新改訳2017】ヨハネの黙示録12章1~6節
1 また、大きなしるしが天に現れた。一人の女が太陽をまとい、月を足の下にし、頭に十二の星の冠をかぶっていた
2 女は身ごもっていて、子を産む痛みと苦しみのために、叫び声をあげていた。
3 また、別のしるしが天に現れた。見よ、炎のように赤い大きな竜。それは、七つの頭と十本の角を持ち、その頭に七つの王冠をかぶっていた。
4 その尾は天の星の三分の一を引き寄せて、それらを地に投げ落とした。また竜は、子を産もうとしている女の前に立ち、産んだら、その子を食べてしまおうとしていた。
5 女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖をもってすべての国々の民を牧することになっていた。その子は神のみもとに、その御座に引き上げられた。
6 女は荒野に逃れた。そこには、千二百六十日の間、人々が彼女を養うようにと、神によって備えられた場所があった。

●ここに出てくる『一人の女』の解釈について、いろいろな解釈がありますが、私の解釈はここの「一つの女」はイスラエルとしています。この女は「太陽をまとい、を足の下にし、頭に十二の星の冠をかぶっていた」とあります。またこの女は「男の子」を産んだのですが、その男の子とは「この子は、鉄の杖をもってすべての国々の民を牧することになっていた。その子は神のみもとに、その御座に引き上げられた」とあります。それゆえ、この子はメシア・イェシュアです。なぜなら、メシアを産むことができるのは教会ではなく、イスラエルだからです。逆に教会はメシアによって誕生します。

4.「時のしるし」を啓示しているイスラエル

●イェシュアがパリサイ人たちとサドカイ人たちに対して、「時のしるしを見分けることはできないのですか」(マタイ16章)と問いかけたのには、実は深い意味があります。それは、彼らが共通に大切にしている「モーセ五書」にそのことが啓示されているからです。モーセ五書は「創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記」の五書からなっており、特に、創世記1章14節に「光る物」が造られ、それによって「定められた時々のため、日と年のためのしるしとなれ」と記されているからです。「定められた時々、日(複数)、年(複数)」は、すべて「時のしるし」で括(くく)ることができます。その「時のしるし」を説明するために、歴史的出来事である「過越と出エジプトの出来事」を取り上げてみたいと思います。

【新改訳2017】出エジプト記12章1~14、50節
1 【主】はエジプトの地でモーセとアロンに言われた。(いまだなされていないことが、主によって語られています。)
2 「この月をあなたがたの月の始まりとし、これをあなたがたの年の最初の月とせよ
3 イスラエルの全会衆に次のように告げよ。この月の十日に、それぞれが一族ごとに羊を、すなわち家ごとに羊を用意しなさい。
4 もしその家族が羊一匹の分より少ないのであれば、その人はすぐ隣の家の人と、人数に応じて取り分けなさい。一人ひとりが食べる分量に応じて、その羊を分けなければならない。
5 あなたがたの羊は、傷のない一歳の雄でなければならない。それを子羊かやぎのうちから取らなければならない。
6 あなたがたは、この月の十四日まで、それをよく見守る。そしてイスラエルの会衆の集会全体は夕暮れにそれを屠り、
7 その血を取り、羊を食べる家々の二本の門柱と鴨居に塗らなければならない。
8 そして、その夜、その肉を食べる。それを火で焼いて、種なしパンと苦菜を添えて食べなければならない。
9 生のままで、または、水に入れて煮て食べてはならない。その頭も足も内臓も火で焼かなければならない。
10 それを朝まで残してはならない。朝まで残ったものは燃やさなければならない。
11 あなたがたは、次のようにしてそれを食べなければならない。腰の帯を固く締め、足に履き物をはき、手に杖を持って、急いで食べる。これは【主】への過越のいけにえである。
12 その夜、わたしはエジプトの地を巡り、人から家畜に至るまで、エジプトの地のすべての長子を打ち、また、エジプトのすべての神々にさばきを下す。わたしは【主】である。
13 その血は、あなたがたがいる家の上で、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたのところを過ぎ越す。わたしがエジプトの地を打つとき、滅ぼす者のわざわいは、あなたがたには起こらない。
14 この日は、あなたがたにとって記念となる。あなたがたはその日を【主】への祭りとして祝い、代々守るべき永遠の掟として、これを祝わなければならない

51 まさにこの日に()、【主】はイスラエルの子らを、軍団ごとにエジプトの地から導き出された。

つまり「15日に」、イスラエルの民はエジプトの地から導き出されたのです。


●この箇所で最も注意してほしいのは、「過越」と「出エジプトという解放」の出来事の日時です。

(1) 神が「この月(※)をあなたがたの月の始まりとし、これをあなたがたの年の最初の月とせよ」としたこと。
※第一の月は「アビブの月」(3~4月頃)と言われます。

(2) 10~14日の5日間、羊に傷や欠陥がないかをよく見守り、14日の夕方に(※)その羊を屠る。

※イェシュアは十字架にかけられる5日前の日曜日にエルサレム入りして、金曜日の午後の夕方に死なれました。 つまり、過越の羊がほふられる時刻に、イェシュアも神の子羊として神の「定められた時」にほふられるのです。

(3) 15日の真夜中、エジプトに神のさばきが行われ、エジプト中の初子が殺されます。そのとき、羊の血を家のかもいと門柱に塗ったイスラエルの家はさばきを過ぎ越されました。そして、その日(15日)のうちに、イスラエルの子らはラメセスからスコテに向かって旅立ちました。女、子どもを除いて、徒歩の壮年男子は約六十万人。さらに、入り混じって来た多くの異国人と、羊や牛などおびただしい数の家畜も、彼らとともに上った。

●14節で、主が「この日は、あなたがたにとって記念となる。あなたがたはその日を【主】への祭りとして祝い、代々守るべき永遠の掟として、これを祝わなければならない。」と言われたように、イスラエルのすべての祭り(=主の例祭)は、神がイスラエルに対して創造的な救いのわざをなしてくださったという歴史的事実に基づいています。すでに春の祭りはイェシュアの初臨の時に成就しました。しかし秋の祭りはこれからなのです。それは、神が「定められた時」に、再び、神が新しい創造的な救いをなさる時を私たちが見分けることができるためなのです。

2020.1.25
a:1917 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional