1章29~30節
創世記1章29~30節
【新改訳2017】
29 神は仰せられた。「見よ。わたしは、地の全面にある、種のできるすべての草と、種の入った実のあるすべての木を、今あなたがたに与える。あなたがたにとってそれは食物となる。
כט וַיֹּאמֶר אֱלֹהִים הִנֵּה נָתַתִּי לָכֶם אֶת־כָּל־עֵשֶׂב ׀ זֹרֵעַ זֶרַע אֲשֶׁר עַל־פְּנֵי כָל־הָאָרֶץ וְאֶת־כָּל־הָעֵץ אֲשֶׁר־בֹּו פְרִי־עֵץ זֹרֵעַ זָרַע לָכֶם יִהְיֶה לְאָכְלָה׃
30 また、生きるいのちのある、地のすべての獣、空のすべての鳥、地の上を這うすべてのもののために、すべての緑の草を食物として与える。」すると、そのようになった。
ל וּלְכָל־חַיַּת הָאָרֶץ וּלְכָל־עֹוף הַשָּׁמַיִם וּלְכֹל ׀ רֹומֵשׂ עַל־הָאָרֶץ אֲשֶׁר־בֹּו נֶפֶשׁ חַיָּה אֶת־כָּל־יֶרֶק עֵשֶׂב לְאָכְלָה וַיְהִי־כֵן׃
●すでに、第三日において、神は地に植物を、すなわち、「種のできる草」と「種の入った実を結ぶ木」を生じさせています。29節では、それが人の食物となることが記されています。しかし、30節では、人以外の生き物たちには「すべての緑の草を食物として与える」ことが記されています。人と動物では何が違うのでしょうか。それは、食物に「種」があるか否かです。
1. 「オフラ―」(אָכְלָה)
●創世記1章29~30節は「食物」(「オフラー」אָכְלָה)についての啓示です。エデンの園においての食物は、園の中にあるすべての木の実でした。しかしエジプトを出たイスラエルの民の食物は「マナ」でした。その目的は、「人はパンだけで生きるのではなく、人は【主】の御口から出るすべてのことばで生きるということを、分からせるためであった」のです。そして約束の地カナンにおいては、創世記1章29節にある「種のできるすべての草」と「種の入った実のあるすべての木」が食物となりました。
●人に与えられている「種のできるすべての草」と「種の入った実のあるすべての木」、そして動物に与えられている「すべての緑の草」には、深い意味が隠されています。
(1)動物・・種のない 「すべての緑の草」(「デシェ」דֶּשֶׁא)
(2)人・・「種のできるすべての草」(「エーセヴ」עֵשֶׂב)
(3)人・・「種の入った実のあるすべての木」(「エーツ・ペリー」עֵץ פְּרִי、あるいは「フェリー・エーツ」פְרִי־עֵץ)
●金聖圭牧師はこのことについて、次のように解釈しています。
「種」(「ゼラ」זֶרַע)とは「子孫」を意味し、それはイェシュアを表しています。
(1) の種のない「すべての緑の草」とは「キリストのない教え」のこと。
(2) の「種のできるすべての草」とは「モーセのおしえ(律法)」のことで、それはキリストに導くための養育係のような食物で、幼稚な教えを意味します。しかし、
(3)の「種の入った実のあるすべての木」とは「キリストの教え」そのもので、義の教え、人に永遠のいのちをもたらす食物を意味します。
●この二つの違いを、ヨハネやパウロは以下のように記しています。
【新改訳2017】ヨハネの福音書 1章17節
律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。【新改訳2017】ローマ書 8章2節
なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の律法が、罪と死の律法からあなたを解放したからです。【新改訳2017】Ⅰコリント書3章1~4節
1 兄弟たち。私はあなたがたに、御霊に属する人に対するようには語ることができずに、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように語りました。
2 私はあなたがたには乳を飲ませ、固い食物を与えませんでした。あなたがたには、まだ無理だったからです。実は、今でもまだ無理なのです。
3 あなたがたは、まだ肉の人だからです。あなたがたの間にはねたみや争いがあるのですから、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいることにならないでしょうか。
4 ある人は「私はパウロにつく」と言い、別の人は「私はアポロに」と言っているのであれば、あなたがたは、ただの人ではありませんか。【新改訳2017】Ⅱコリント書3章6節
神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者となる資格です。文字は殺し、御霊は生かすからです。【新改訳2017】ヘブル書5章13節~6章1節
13 乳を飲んでいる者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。
14 固い食物は、善と悪を見分ける感覚を経験によって訓練された大人のものです。
6:1 ですから私たちは、キリストについての初歩の教えを後にして、成熟を目指して進もうではありませんか。
2. 「オーヘル」(אֹכֶל)
●創世記1章29節と30節にある「食べ物」(אָכְלָה)は女性名詞ですが、男性名詞「オーヘル」(אֹכֶל)も「食糧、食べ物」の意味で用いられます。意味としては同義です。メシアニック・ジューよる新約聖書ではこの男性名詞「オーヘル」(אֹכֶל)を使っています。また、もう一つの男性名詞「食物、食べ物」(「マアハール」מַאֲכָל、創世記2:9, 3:6)がイェシュアが語っていることばの中に使われています。
【新改訳2017】ヨハネの福音書 4章32, 34節
32ところが、イエスは彼らに言われた。「わたしには、あなたがたが知らない食べ物(אֹכֶל)があります。」
34イエスは彼らに言われた。「わたしの食べ物(אֹכֶל)とは、わたしを遣わされた方のみこころを行い、そのわざを成し遂げることです。」【新改訳2017】ヨハネの福音書6章54~58節
54 わたしの肉を食べ(הָאֹכֵל)、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。
55 わたしの肉はまことの食べ物(אֹכֶל)、わたしの血はまことの飲み物なのです。
56 わたしの肉を食べ(הָאֹכֵל)、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしもその人のうちにとどまります。
(※「ハーオーヘル」הָאֹכֵלは、「食べる者」の意)
57 生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者(הָאֹכֵל)も、わたしによって生きるのです。
58 これは天から下って来たパンです。先祖が食べて(אֹכֶל)、なお死んだようなものではありません。このパンを食べる者(הָאֹכֵל)は永遠に生きます。」
●「天からのマナ(パン)」であるイェシュアを食べることは、イェシュアと一体となるということであり、イェシュアにあるすべてのものを共有するということでもあるのです。ヨハネはこのことを「永遠のいのちを持つ」ということばで表現しているのです。
2019.11.14
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