アブシャロムのクーデターとダビデの都落ち
サムエル記の目次
40. アブシャロムのクーデターとダビデの都落ち
【聖書箇所】 15章1節~37節
はじめに
- 15章は野心をもっていたアブシャロムによるクーデターと都落ちするダビデを描いています。この章も神は沈黙しておられます。「アブシャロム」という名前は「父は平和」あるいは「平和の父」という意味ですが、父ダビデは息子のクーデターに対して一切戦う姿勢をとっていません。まさにすべては神の御手にゆだねて平安のうちにいます。「ダビデがその子アブシャロムからのがれたときの賛歌」と題する表題を持つ詩篇3篇では、驚くべきことに、この出来事の最中にあっても「私は身を横たえて、眠る。私はまた目をます。主がささえてくださるから。」(5節)と告白しています。アブシャロムの用意周到なクーデターの準備と危機に陥ったダビデの態度を見てみたいと思います。
1. イスラエルの人々の心を盗んだアブシャロム
- アブシャロムのクーデター計画は4年間にわたる用意周到な準備が重ねられました。特に、6節に「こうしてアブシャロムはイスラエル人の心を盗んだ」とありますが、これが準備の大要ではなかったかと思います。人の心を「盗む」と訳された原語は「ガーナヴ」(גָּנַב)で、その強意形であるピエル態が使われています。新共同訳は「盗み取った」、岩波訳は「(心を)掴んだ」と訳しています。
- 心を盗むという「懐柔作戦」によって人々を自分のうちに取り込んでいきました。その具体的な方法は、5節にあるように、「人が彼に近づいて、あいさつしようすると、彼は手を差し伸べて、その人を抱き、口づけをした」というパフォーマンスです。
- 今日の政治的パフォーマンスと何ら変わりません。政権を取るための政治的パフォーマンスは、アブシャロムの方がダビデよりもまさっていたようです。ダビデはそのようなパフォーマンスをせずも、神が彼を建て上げられて行かれるのでそのようなパフォーマンスは必要ありませんでした。しかしアブシャロムにはそのような神の後ろ盾がないために、人々をなんとか取り込むためのパフォーマンスが必要だったと言えます。
- アブシャロムは、父ダビデを欺いてヘブロンへ赴き、そこで王としての即位を宣言しました。しかもダビデの議官をしていた有能なアヒトフェルを味方につけました。状況としてはイスラエルの人の心はアブシャロムになびいていました。「なびいていた」の直訳は「~のあとに(従う)」という副詞「アハル」(אַחַר)が使われています。つまり、イスラエルの多くの人々の心はアブシャロムに従うようになっていた」という意味です。そのような状況の中でダビデがどのように対処したのかは注目に値します。
2. 戦うことなく、都落ちしたダビデ
- 息子のクーデターに対して、父ダビデは戦うことなく、王の座を明け渡すために都落ちしました。武力による衝突を避け、逃げることを選んだのです。危機に陥ったダビデの判断から学ぶところは大いにありますが、その中でも際立っているのはダビデの危機における沈着冷静な態度です。それは以下に見る事柄です。
(1) あくまでも自分に従ってきたいと申し出る者を受け入れています。イタイという人物に対しては「どうして、あなたはわれわれといっしょに行くのか。あの王のところにとどまりなさい」と言いますが、イタイはどうしてもダビデといたいというので受け入れました。アビシャロムとは全く対照的なダビデの姿を見ます。
(2) 祭司たち(ツァドク、エブヤタル)を神の箱とともにエルサレムに帰しています。彼らの存在はダビデの王としての正当性を主張するためには格好の存在であったにもかかわらず、ダビデは彼らを自分のために利用しようとはしませんでした。ただ、彼らの息子たち(アヒマアツとヨナタン)がダビデに逐一エルサレムの様子を報告するようにしました。これは内部情報を得るために彼らを起用したということです。
(3) 有能な参謀の一人、アヒトフェルがクーデターに加担したことを聞いて、主に「彼の助言を愚かなものとしてください」と祈っています。
(4) 部下の一人、フシャイをアブシャロムの部下となるように進言します。彼のパフォーマンスは見事なもので、アブシャロムは完全に騙されたのでした。ダビデの進言の意図はアヒトフェルの助言を打ち壊すためでしたが、見事に命中した形となりました。ダビデは武力による戦いではなく、頭脳戦の構えを取ったのです。
(5) かつてダビデに対して神が告げられた契約がありました。それは主がダビデのために一つの家を造るという約束です。しかもその約束は、「あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる」というものでした。「あなたの身から出る世継ぎの子」とはいったいだれのことか、ダビデにはそのことは隠されていました。しかし、神の約束が確かであるゆえに、ダビデは後継者問題については神にゆだねるしかありませんでした。そのことが、ダビデに心の余裕を持たせ、冷静沈着に危機に対応させることなったのかもしれません。
2012.8.8
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