恩寵用語Ps4
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詩4篇 (1) 「特別に扱う」 פָלָה ファーラー
〔カテゴリー 愛顧〕
- 3節「知れ、主は、ご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。」(新改訳)
- 3節「主の慈しみに生きる人を主は見分けて、」(新共同訳)
- 3節「君たちは知れ。やーウェは彼を敬う者を聖め分たれたことを。」(関根訳)
- 3節「だが知れ。ヤーウェは取り分けたのだ。」(岩波訳)
Keyword; 「聖別する、取り分ける」 set apart, show wondrous favor, 4:3のみ
◆「特別に扱われる」と訳されたファーラーפָלָה(phalah)は旧約で5回、詩篇ではここ1回のみです。出エジプト記8:22/9:4/11:7/33:16では、ゴシェンの地で羊を飼うイスラエル人とエジプト人の家畜ははっきりと区別されていました。エジプトに下されたさばきの時にもはっきりと区別され、ゴシェンの地にはさばきは及びませんでした。なぜなら、「わたしはその日、わたしの民がとどまっているゴシェンの地を特別に扱い、そこには、あぶがないようにする、それは主であるわたしが、その地の真中にいることを、あなた(パロ)が知るためである。」(出8:22)と記されている通りです。
◆「知れ、主は、ご自分の聖徒を特別に扱われる」のです。えこひいきする神です。ご自分の「聖徒、神を敬う者、主の慈しみに生きる者、主のお気に入り」(ハーシードחָסִיד)には、特別な好意をもってお引き立てくださる方です。そのことを知る者は幸いです。
◆使徒パウロはロマ書2章11節で「神にはえこひいきなどはないからです。」と断言しています。それはどういう意味においてかというならば、「栄光と誉と平和」の祝福は、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、例外なく「善を行うすべての者にある」という意味で、えこひいきはないという意味です。とは言いながらも、「善を行う者はいない。ひとりもいない。」(同、3章12節)」と展開し、イエスを信じる者を義とされるということにおいて、ユダヤ人もギリシャ人もえこひいきはないという論理展開になっていきます。ユダヤ人のパウロにとつて、この世界には人類はユダヤ人とギリシャ人(異邦人をすべて包括する)の区別しかありません。ですから、「ユダヤ人もギリシャ人も」という表現は「すべての人」と同義です。
◆御子イエス・キリストを信じる者に対して、神は常に特別な好意(愛顧、お引き立て、寵愛、恩恵)をもって扱われます。キリスト者はキリストにある特別待遇の身なのです。しかしそれは人前で公言することではなく、自らの心のうちに静かに秘め置くことが良いのです。なぜなら、それは妬みの霊によって苦しめられないためです。ダビデの生涯を見ると、彼は神のお気に入りで特別な愛顧を受けていることが如実に示されたとき、サウロ王がそのことを嫉み、彼を執拗に追跡し捕えて殺そうとしたほどです。確かに、主の恵みによって生きる人には神が特別に扱われます。それゆえ、決して傲慢にならないように自戒しなければならないと思います。