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礼拝用語Ps4

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詩4篇 「呼ぶ、呼ばわる」 קָרָא カーラー         

(カテゴリー:祈り)

1節「私が呼ぶとき、答えてください。」 
3節「私が呼ぶとき、主は聞いてくださる。」

Keyword; 「呼びます」「呼ばわります」「叫び求めます」call, cry, cry out, call for help,
3:4/4:1, 3/17:6/18:3, 6/20:9/22:2, 7/28:1/30:8/31:17/34:6/50:15/55:16/56:9/57:2/61:2/
66:17/69:3/80:18/81:7/86:3, 5, 7/88:9/89:26/91:15/99:6/102:2/119:145,146/120:1/130:1/141:1

  • カーラー(קָרָא)は「呼ぶ」「呼び求める」、呼びかけるだけでなく「訴える、叫ぶ、会う、向き合う、告げる、出会う、出迎える、となえる、名づける、招く、召す、召し集める、召し寄せる・・」などの意味があります。誰に向って訴えるのか、誰に向って叫ぶのか、誰に向って呼び求めるのか、そこが重要なポイントです。「私が呼ぶとき、主は聞いてくださる」・・この「主」との呼応関係こそ、永遠のいのちと言われるものです。このカーラー(קָרָא)は、旧約で733回、そのうち詩篇では57回使われています。
  • 4節には「恐れおののけ。そして罪を犯すな。床の上で自分の心に語り、静まれ」とあります。ここでの「罪」とは、文脈から見るならば、「だれかわれわれに良い目を見せてくれないものか」(6節)と多くの者たちが言っているように、「だれでもいいから」というその場限りの呼びかけです。つまり、自分に良い目をみせてくれるならだれであってもいいという心こそが、神に対する大きな罪です。こうした罪が聖徒とされた者(神の子どもとされた者)にも潜んでいるかもしれません。4節は、そうした心が自分のうちにないかどうか、点検する必要が訴えられています(4節)。
  • 御子イエスはしばしば一人になり御父に向って呼ばわりました。そしてそれに答えて御父はみこころを示されました。このみこころに御子イエスは従われたのです。この関係こそ神の子とされた者の在るべきかかわりです。御父は御子に対してそうであられたように、ご自身の子どもである私たちに対しても、いつも良いものを与えてくださり、いつも良い目を見させてくださる方です。ですから、このことを詩4篇では「知れ。主は、ご自分の聖徒を特別に扱われるのだ」(詩4篇3節)と表現しているのです。
  • 詩人の八木重吉は、赤子が泣くのは必死に神を呼んでいるのだ言いました。私たちも赤子が母親を呼び求めて泣くように、神を呼び求めたいと思います。御父は呼び求める私たちの声にーそれがどんなに弱々しい声であったとしてもー必ず、耳を傾けて聞いてくださる方です。そして、そのことを信じることが最も大切なことです。
  • カーラー(קָרָא)の類義語としては、シャーヴァ(שָׁוַע)があります。新改訳では「叫び求めます」、口語訳では「呼ばわります」、新共同訳では「求め叫びます」と訳されます。詩28:2/72:12/88:13/119:147参照。大きな声を出して助けを叫び求めることを意味します。主は、私たちのなりふりかまわない叫びを、体裁を繕わない心の叫びを聞いて下さる方です。

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