****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

瞑想Ps73/A

Ⅲ/A(73~89篇) | テキストPs73 | 原典テキストPs73 | 瞑想P73/B | 礼拝用語Ps73(1) | 礼拝用語Ps73(2) | 恩寵用語Ps73

瞑想Ps73/A

  • 詩73篇は詩篇第三巻の最初のものであり、作者もアサフとなっています。アサフはダビデの幕屋礼拝における有能な賛美リーダーの一人です。ソロモン神殿においても最高位の賛美リーダーでした。いつもは多くの人の前にさらされている人でしたが、その彼が人間の最も深い問題に切り込んでいます。
  • 詩73篇は、熱心な信仰者であるなるならば、誰でもぶつかる問題だと思います。その問題とは、この世の不条理に対する怒り、いや、もっと分かりやすく言えば、自分の内に湧いてくる「ねたみ」や「ひがみ」といった問題です。神を信じていなくても、深刻な問題で頭をかかえ込んだりすることもなく、結構、豊かな生活をし、羽振りのいい生活をしている。ほしいものが何でも手に入っている。一見、神を信じている自分たちよりも彼らのほうが幸せそうに見える。まじめに神を信じて、神に従おうとしている自分がばからしく感じる・・・そんな思いを抱いたことが彼の心をかき乱しました。もしその心をそのまま述べたとしたら、彼は自分の仲間を裏切り、つまずかせることになると考えていたのです(15節)。「実は、牧師はいつもむなしさを感じながら、神からのメッセージを語っているんです」と正直に述べたらきっとつまずく信者もいると心配するようなものです。私も一人の牧師として、アサフの気持ちがわかるような気がします。彼が正直に自分の内に起こっている深刻な問題を告白してくれなければ、だれも気づくことはなかったでしょう。
  • 不条理に対する嫉み、ひがみは、クリスチャンがこの世の中のノンクリスチャンの姿を見たときだけでなく、クリスチャン同士を見てもやはり同じことが起こります。「嫉み」、それはしばしば私たちが他の人とくらべることによってもたらされます。自分に与えられているものよりも、ないものに目が奪われてしまうのです。私たちがなにをもって幸せと感じているのかが問われます。信仰者といえども、その幸福観がこの世のそれとそれほど変わらないならば、アサフが経験したような苦しみを味わうかもしれません。嫉みは信仰の歩みを狂わせます。信仰生活を形骸化させます。神に感謝する力も祈る力も奪われます。それはまるで牢獄の中にいるような状態です。不条理と思える現実をどう解釈したらいいのか、どう理解し受け止めたらいいのか、考えれば考えるほどアサフにとっては苦しみを増し加えるものでした(15節)。
  • この詩篇の結論は1節にあります。「まことに神は、イスラエルに、心のきよい人たちに、いつくしみ深い。」。「神は、いつくしみ深い」とは、英語でGod is good です。神は良い方、神は良いことしかなさらない方という意味です。実は、この詩篇の最後にもgood ということばが出てきます。それは「・・私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです」(28節)の「しあわせなのです」という表現、口語訳では「良いことなのです」と訳されていますが、英語では It is good for me draw near to God となっています。つまり、この詩篇は二つのgood、ひとつは「神が良い方であることを知ること」、もうひとつは「この神の近くにいることが良いことだと知ること」、この二つのgoodを経験することが、この詩篇の一番言いたいところなのだと信じます。しかし、この二つのgoodを経験することは決して容易ではないようです。アサフはどのようにしてそこに行き着くことができ、嫉みやひがみから解放されたのでしょうか。
  • アサフに転機をもたらしたのは、16節の「私は、聖所にはいり・・・」です。アサフは聖所でいつものように神を礼拝し、瞑想していたとき、上からの悟りを与えられたのです。「聖所にはいる」という生活、礼拝に来て、神を瞑想する生活、その繰り返しが大切なのです。そこに自分の身を置くことで、やがて上からの悟りが与えられると信じます。それはある意味で地味な生活かもしれません。しかし、この世のさまざまな現実に引き回されないライフスタイルを形作るためにはそれが大切なのです。「悟りを得る」ことは合理的なライフスタイルからは決して生まれることはないと信じます。アサフは上からの悟りを与えられて、はじめて自分が愚かで無知であったかを思い知らされました。私たちもアサフのような経験をしながら、神を知っていくのだと思います。
  • 23節からアサフは「しかし」と自分の姿勢を正しています。さまざまな現実に翻弄される自分の心を神に向け直して、良きも悪しきも丸ごと受け入れる姿勢へと変えられていきます。23節以降の箇所のLB訳はとても励まされます。「しかし、神様はこんな私をも愛してくださり、右手をしっかりつかんでくださっています。生涯を通して、神様は知恵と助言を与えて私を導いてくださることでしょう。そしてついに、私は栄光の天へと招かれるのです。・・・・。」 そしてアサフの結論は、「私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです」という確信でした。信仰の行き詰まりを感じたときも、またそうでないときにも、「神の近くにいることが、良いことであり、しあわせなのだ」ということを味わっていきたいと思います。

  • 「最高の出会いの瞬間から出て行くときには、依然とはまったく違った人間になる。」

    (マルチン・ブーバー)

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional