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瞑想Ps85/A

Ⅲ/A(73~89篇) | テキストPs85 | 原典テキストPs85 | 瞑想Ps85/B | 礼拝用語Ps85 | 恩寵用語Ps85

瞑想Ps85/A

  • この詩篇は神の救いの現在性と未来性との狭間の中で、強いられた信仰の緊張がみられます。1節から3節には、神が自分たちを捕囚の身から解放し、故国イスラエルに帰還させてくださったことが記されています。「主よ。あなたは、御国に恵みを施し、ヤコブの捕われ人を、お返しになりました。あなたは、御民の咎を赦し、彼らのすべての罪を、おおわれました。あなたは、激しい怒りをことこどく取り去り、燃える怒りを、押しとどめられました。」
  • これは驚くべき恵みです。不貞を働いたイスラエルの民の罪をことごとく赦したのですから。それは神の怒りが取り除かれたのだと人々には感じました。彼らはバビロンでの捕囚生活の中で深く悔い改め、神のみことばを愛し、昼も夜もそれを口ずさみ(瞑想し)、生活のすべての領域でそれを生かそうとしました。新しいライフスタイルを身につけ、故国で新しい生活を夢見たのです。しかし、実際に帰った後、多くの困難(試練)が待ち受けていました。これは罪人が神に赦され、神に立ち返って新しい歩みを喜びをもって始めたクリスチャンに、新しい試練が待ち受けているのと同じです。
  • 「バビロンからの帰還」の経験は、今日に生きる私たちに多くの教訓と励ましを与える「たとえ」となっています。この詩篇における祈りは、さまざまな苦難の現実の中で、「どうか、私たちを生き返らせて・・ください。」(4節) 「あなたは、私たちを再び生かされないのですか。あなたの民があなたによって喜ぶために。」(6節) 「主よ。私たちに、あなたの恵みを示し、あなたの救いを私たちに与えてください。」(7節) となっています。その祈りはいずれも、かつて味わった喜び、つまり<回復への渇望>です。
  • 作者はここではじめて「私は、主であられる神の仰せを聞きたい。」と、神中心の生き方への転換をしています。I will hear これはとても重要だと信じます。ここから9節以降に見られる将来の展望が開かれているからです。まだ実現していないことを信仰によって確信しているのです。その内容は「恵みとまことは、互いに出会い、義と平和とは、互いに口づけしています。」(10節)に要約できます。恵みとまことはイエス・キリストによって実現し、義と平和もイエス・キリストによって実現します。神の選びの民イスラエルにおいては、キリストの再臨によってそれが可能となります。真の回復のみわざはただただ神の主権と恩寵によるものであること、そしてそれは必ず実現するという希望こそ、今の苦難という試練を乗り越えさせるものです。
  • 苦しみを経験するのは楽しいことではありませんが、それを通してでなければ見出せない真理の啓示があるのです。そこに神は私たちひとりひとりを導いておられると信じます。

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