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礼拝用語Ps19

詩19篇「悟る」「知る」 בִּין ビーン      

〔カテゴリー従順〕

12節「だれが自分の数々のあやまちを悟ることができましょう。」(新改訳)
12節「だれが自分のあやまちを知ることができましょうか。」(口語訳)

Keyword;「悟る」「知る」「知恵を得る」

  • 「悟る」と訳されたビーン(בִּין)は、「知る、明らかにす、発見する、わきまえる、心に留める、熟練する、知恵を得る、理解する、説き明かす、解く、調べる、考える」といった意味合いがあります。英語ではunderstandです。名詞の「悟り」ビーナー(בִּינָה)は、「知恵、知識、理解、意味、賢者」とも訳され、主に知恵文学(ヨブ記、箴言、詩篇)に顕著に見られます。
  • あるもの(事柄)を見る(look)ことと、そこになんらかの意味や知恵を見出す(find)こととは全く別のことです。詩119篇130節に「みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます。」とあるように、みことばの戸がうち開かれるとき、「わきまえのない者」(新改訳)、「無学な者」(口語訳)、「無知な者」(新共同訳)、「愚かなるもの」(文語訳)、「単純な者」(尾山訳)に「悟り」が与えられます。このことは実に驚くべきことです。みことばが開示されることーこれを「啓示」と言いますがーと、「悟り」が与えられることとは密接な関係があるようです。「悟りがなければ、滅び失せる獣に等しい」(詩49篇20節)というのが聖書の立場です。
  • 類義語としてはヤーダ(יָדַע)があります。
    詩篇1:6/9:10/20:6/36:10/46:10/73:11,16/82:5/90:11 これらはいわば事柄を知るというよりも、人格的に「知る」という意味で「神が人を知る」こと、「人が神を知る」ことの双方に用いられます。
  • 「悟りを与えられた者」のイメージは初代教会の使徒たちに見ることができます。彼らは当時においては「無学のただ人」と言われた者たちでしたが、天下を揺るがすほどの人物に変えられている姿を見ることができます。特に、ペテロとヨハネがユダヤ当局の脅しにひるむことなく、「この方以外に救いはありません」と断言するその大胆な姿に、彼ら(ユダヤ当局)は驚いたと記されています。
  • 私たちにとって、イエス・キリストの十字架の死と復活の出来事がなんであったかを悟ることがいのちを得ることです。もしそれを悟ることができなければ、永遠の滅びに定められているのです。自分の罪、あやまち、無知を知り、神の愛と救いを「助け主」なる聖霊によって悟りを与えられることが大切です。自分の力では悟り得ないからです。いみじくも、使徒パウロは「事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。」(Ⅰコリント1:21)と述べているのはそのためです。

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