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礼拝用語Ps20(2)

詩20篇(2) 「まっすぐに立つ」 עוּד ウード       

〔カテゴリー信頼〕

8節「彼らは、ひざをつき、そして倒れた。しかし、私たちは、立ち上がり、まっすぐに立った。」(新改訳)
8節「国々はやがて衰え、滅びます。しかし、私たちは立ち上がり、大地に根を下ろしてびくともしません。」(L.B)

Keyword;「まっすぐに立つ、奮い立つ、しっかりと立つ」stand firm,

  • 8節後半には同義的な二つの動詞―「立ち上がる」と「まっすぐに立つ」という語彙―が並んでいます。前者はクーム(קוּם)、後者はウード(עוּד)で、どちらも本来的には神の恩寵用語として用いられることが多いのですが、ここでは礼拝用語として用いられている数少ない用例です。両者とも同義的な意味合いをもっているので、フランシスコ会訳、典礼訳では「堅く立っている」と一語のように訳しています。
  • ちなみに、「まっすぐに立つ」と訳されたウード(עוּד)は、旧約で44回、詩篇では6回です。「まっすぐに立つ」の他に、「しっかりと立つ」(バルバロ訳)、「もちこたえる」(関根訳)、「励まし合う」(岩波訳)で、「奮い立つ」という訳もあります。20:8を除く他の4箇所の詩篇では「戒める」(50:7)、「たしなめる」(81:8)、「支える」(146:9/147:6)と訳されています。
  • ウード(עוּד)は、「戒める」「たしなめる」「注意する」「警告する」といった神の教育的訓練を通して、ご自身の民を「まっすぐに立たせる」という恩寵的性格の強い動詞です。ですから、「しかし、私たちは、立ち上がり、まっすぐに立った。」(新改訳)と云えども、それは神の教育的訓練によるものであり、人間の本来的な力によるものではありません。それゆえ7節後半にあるように、「私たちは、私たちの主の御名を誇ろう。」ということになるのです。
  • 使徒パウロは旧約聖書に記されている多くのさばきの出来事を例に上げながら、「これらのことが起こったのは、戒めのためであり、それが起こったのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。」(コリント第一、10:11~12)と述べています。
  • 詩20篇は王ダビデのために民がとりなしている祈りであるとともに、ダビデ自身が、、神が聖なる天から答えて、油注がれた者に大勝利をもたらしてくださることを、「今こそ、私は知る」(20:6)と告白しています。「今こそ、知る」とは、今あらためて知らしめられたということです。
  • 戦いを余儀なくされれば、戦車や馬に頼ろうとします。私たちは目に見えるものに頼ろうとします。しかし、そうしたものに頼るならば、必ず、敗北し、滅びます。神はご自身の御名に頼るものを支えられます。そしてその者に勝利をもたらしてくださるのです。

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