第四のしもべの歌 (2)
48. 第四のしもべの歌 (2)
【聖書箇所】53章1~3節
ベレーシート
- イザヤ書52章13節~53章12節にある第四の「しもべの歌」は、それぞれ3節からなる五つの部分で構成されています。
(1) 52章13~15節、(2) 53章1~3節、(3) 53章4~6節、(4) 53章7~9節、(5) 53章10~12節
- 今回は、(2)の53章1~3節の区分を取り上げます。そこには主のしもべに対する人々の反応と主のしもべのこの世における生い立ちについて預言されています。
【新改訳改訂第3版】イザヤ書53章1~3節
1 私たちの聞いたことを、だれが信じたか。【主】の御腕は、だれに現れたのか。
2 彼は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。
3 彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。
1. 主のしもべに対する人々の反応の預言
- 第一区分(52:13~15)では、主ご自身がしもべについて語っていましたが、第二区分(53:1~3)では預言者イザヤが主のしもべについて語っています。その最初のことばは「私たちの聞いたことを、だれが信じたか。【主】の御腕は、だれに現れたのか。」というものです。
- 1節の「私たち」とはだれのことかいろいろな解釈がありますが、少なくとも預言者イザヤと52章13~15節の主のことばを聞いて信じた者と言えます。1節の冒頭の原文には「だれが」(「ミー」מִי)という疑問詞がありますが、その内容は「告げられなかったこと」「聞いたこともないこと」を受け継いでいます。「心をかたくなにする」メッセージを語るようにと召されたイザヤ自身が、主のしもべの高挙と受難というその格差の激しい驚くような出来事を、果たしてどれほどの人が信じるだろうか、信じる者はきわめて少ないのだという背景を語っていると思われます。
- XLL(70人)訳聖書は、この53章1節を「主に対する問いかけ」として、以下のように訳しました。
LXE Isa 53:1
O Lord, who has believed our report? and to whom has the arm of the Lord been revealed?主よ。だれが私たちの知らせを信じましたか。また主の御腕はだれに現されましたか。
そのために、ヨハネの福音書12章38節とローマ人への手紙10章16節でそのまま引用されています。
①【新改訳改訂第3版】ヨハネの福音書12章36節後半~38節
36・・・イエスは、これらのことをお話しになると、立ち去って、彼らから身を隠された。
37 イエスが彼らの目の前でこのように多くのしるしを行われたのに、彼らはイエスを信じなかった。
38 それは、「主よ。だれが私たちの知らせを信じましたか。また主の御腕はだれに現されましたか」と言った預言者イザヤのことばが成就するためであった。
②【新改訳改訂第3版】ローマ人への手紙10章16節
しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。
「主よ。だれが私たちの知らせを信じましたか」とイザヤは言っています。
- 上記の二つの箇所(ヨハネ12:36~38、ローマ10:16)は、主のしもべであるメシアが、奇蹟を通して、神の力が人を救う力であることを現わしたにもかかわらず、拒絶され、蔑まれ、その啓示も退けられるという文脈の中で引用されています。
- ちなみに、53章1節は同義的パラレリズムの修辞法で書かれています。従って「信じる」ことと「主の御腕が現れる」ことは同義なのです。イザヤの時代の人々が心がかたくなであったように、イェシュアの時代の人々も同様に心がかたくなになることが示唆されているのです。人間に対する神の御腕の力と、人々が信仰を与えられることとは同義なのだということです。
2. 主のしもべの生い立ち
- 2~3節には主のしもべのプロフィールが預言されています。生い立ちと彼の面影、そして人々から受ける苦難についてです。
(1) 生い立ち
- それによれば、主のしもべの生い立ちは「主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。」ということです。神の目にはこのしもべは「主の前に」生き抜く存在として、若枝のように芽生えるのですが、人々の目には「砂漠の地から出る根」のように見えたのでした。それは決して目立つことのない姿として育つことを意味しています。
- 旧約聖書で「新芽」「若芽」「若枝」という語彙はメシアを意味する表現です。イザヤ書53章2節の「若枝」のヘブル語は「ヨーネーク」(יֹנֵק)で、この箇所にのみ使われている語彙です。イザヤ書11章1節で「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ」と預言されているように、「新芽」も「若枝」も「メシア」を表わす用語の一つです。イザヤ書11章1節にある「新芽」は「ホーテル」(חֹטֶר)、「若枝」は「ネーツェル」(נֵצֶר)ですが、「若枝」の概念としては、「ヨーネーク」(יֹנֵק)であっても、「ネーツェル」(נֵצֶר)であっても、いずれも同じです。
- ちなみに、イェシュアがなぜ「ナザレ」という小さな貧しい村で育ったのかというと、「ナザレ」が「ネーツェル」に由来するからです。
- イェシュアは預言されていたとおりに「ベツレヘム」で生まれました。しかし、育った場所は「ナザレ」という貧しい村です。マタイの福音書2章23節に「そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して『この方はナザレ人と呼ばれる』と言われた事が成就するためであった。」と書かれています。しかしそのように預言されている箇所を旧約聖書で見つけることはできません。どのようにして預言されていたことが分かるのでしょうか。それは、エッサイの根株から出る「新芽」、すなわちエッサイの子孫から出る一つの「新芽」が「ネーツェル」(נֵצֶר)という語彙であり、ギリシア語の「ナザレ」をヘブル語に訳すると「ナーツラット」(נָצְרַת)となります。「村(町)」が女性名詞であるためにこのような表記になりますが、その語根は実は同じ(נצר)なのです。
- 重要なことは、「主のしもべ」が、ガリラヤにある貧しい小さな村である「ナザレ」で育ったという事実です。当時のユダヤ人の社会では「ガリラヤ」の出身というだけでも軽蔑の眼差しでした。ましてやその中の「ナザレ」に対するイメージも、そして「ナザレ人イェシュア」に対する眼差しもなおさらのことでした。ですから、イェシュアの弟子となるナタナエルは「ナザレから何の良いものが出るだろう」と言ったのです(ヨハネ1:46)。ナザレ出身のイェシュアは当時のユダヤ社会の人々から見れば、「田舎者」でしかなかったのです。田舎から都会に出て来た者に対する地域的偏見(バリア)は、ナタナエルの評価と同様に、今日の現代社会においても何ら変わりません。
(2) 主のしもべの容貌
2節を見ると、主のしもべには、
①「見とれるような姿がない」②「輝きがない」③「人が慕うような見ばえがない」とあります。面影、風格、容姿においてまさに落第なのです。この世の価値観からすれば、評価すべきものが何一つ「ない」のです。原文では、主のしもべである「彼には」、
①「姿がない」②「輝きがない」③「慕うべき顔立ちがない」となっています。ヘブル語で「姿」とは「トーアル」(תֹאַר)、「輝き」は「ハーダール」(חָדָר)、「慕うべき」は「ハーマド」(חָמַד)。
- 「顔立ち」(「マルエー」מַרְאֶה)については、52章14節にも同じ言葉がありました。そこでは受難にあったしもべの顔立ちが人のようではないほどであったことが記されていますが、53章2節では正常時の顔立ちも決してハンサムではなかったことを記しています。当時の人々はイェシュアの顔立ちを見ていたはずですが、それについての情報は聖書には皆無と言っていいほどありません。
- イェシュアを題材にした映画では、イェシュアを演じるほとんどの俳優の顔立ちはなかなか立派なものです。そうでないと、観客を得ることができず、興行は赤字となってしまう懸念があります。イェシュアを信じ愛する者にとっても、イェシュアの顔立ちはすばらしいと思いたい心理が働きます。しかし、主のしもべであるメシアの顔立ちは良いとは言えないようです。むしろ、主は人の心を見ます。神は決してうわべを見ない方であり、「わたしは・・人が見るようには見ない。」とも断言しておられます(Ⅰサムエル16:7)。
- しかし、いつの時代においても、多くの人々が自分の容姿や顔立ちにコンプレックスを抱いています。それは人間的な価値観で自分を見ているからです。それゆえ、イェシュア・メシアの顔立ちが良いとは言えないということの中に神の配剤を信じます。それは、彼の存在が人間的な価値観によって左右されないための神の配剤であり、また、そのことで悩んでいる多くの者たちとの連帯や共感を得ることができるからです。
(3) 人々からの完全な拒絶
- 3節に「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。」とあります。「さげすまれ」という言葉が二度も繰り返されます。確かに、イェシュアは当時のパリサイ人、サドカイ人、ローマ人によって軽蔑の対象となりました。その公生涯で、特に死においては最高度の侮辱を受けました。また、身体的、精神的な面においてありとあらゆる痛みを受け、傷を負いました。これらはすべて預言者イザヤによって預言されていたのです。
2014.11.5
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