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詩篇37篇05~07節

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詩篇は、神と私たちの生きた関係を築く上での最高のテキストです。

2. 詩篇37篇5~7節

5 あなたの道を【主】にゆだねよ。
主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
6 主は、あなたの義を光のように、
あなたのさばきを真昼のように輝かされる。

7 【主】の前に静まり、
耐え忍んで主を待て。
おのれの道の栄える者に対して、
悪意を遂げようとする人に対して、腹を立てるな。


●5節の一行目と二行目は合成的パラレリズム。6節は同義的パラレリズムです。ただし6節の動詞は「輝かされる」の一つです。7節も一行目と二行目は同義的パラレリズム。三行目と四行目も同義的パラレリズム。しかも動詞は「腹を立てるな」の一つです。つまり、5~6節と7節は同じ構造をもっているということです。

●今回の箇所には、主への「信頼用語」が四つ(すべて命令形で)集められています。
①「ゆだねる」・・「ガーラル」(גָּלַל)
②「信頼する」・・「バータハ」(בָּטַח)
③「静まる」・・・「ダーマム」(דָּמַם)
④「待つ」・・・・「フール」(חוּל)

●特に、④の「待つ」(「フール」חוּל)は、「忍耐しながら、耐え忍びながら、待ち焦がれながら主を待つ」ことを意味する動詞で、詩篇ではこの箇所にしか使われていません。

●ちなみに、詩篇で「待ち望む」と訳されていることばは他にもあります。類義語としては以下のとおりです。

(1)「ヤーハル」(יָחַל)。「期待する、望みを抱く、望む、待ち望む、待ちわびる、待つ」(詩篇27:14/31:24/33:18/22/38:15/42:5/69:3/71:14/119:43, 49, 147/130:5, 7/147:11)
(2)「ハーハー」(חָכָה)。「待ち望む、望む、待つ」。(詩篇33:20、イザヤ30:18)
(3)「サーヴァル」(שָׂבַר)。「期待する、望む、待ち望む」(詩篇104:27/119:165/145:15)
(4)「ツァーファー」(צָפָה)。「仰ぎ見る、うかがう、望み見る、待ち構える、見張る」(詩篇 5:3)
(5)「カーヴァー」(קָוָה)。「信頼しながら、期待しながら、主を仰ぎ望みながら、沈黙の中で待ち望む」(詩篇25:3, 5, 21/27:14, 14/37:9,34/40:1/69:6/130:5)


1. 主の主権の上に身をゆだねること

  • 5節と7節では「あなたの道を主にゆだねる者」と「おのれの道の栄える者」を歩む者が対比されています。後者の「おのれの道の栄える者」を、新共同訳は「繁栄の道を行く者」と訳しています。「道」は人生の歩みの総称と言えます。自分の道を主にゆだねていくか、繁栄の道を自分の道として選び取るかは大きな問題です。
  • 「ゆだねる」と訳された「ガーラル」(גָּלַל)は、本来、「(石を)ころがす」という意味です。さまざまなころがし方があると思いますが、ここでは「自分の道」を「主の上に」(「アル・アドナイ」עַל־יהוה)とありますから、主の主権のもとに自分の人生を置くことを意味します。それは自分の思いとは異なる方向にころがるかもしれないのです。しかし主はそのゆだねた者の道を、ご自身のご計画に従って、豊かに計らってくださるのです。つまり、主は私たちの思いや願いをはるかに越えたことをしてくださるのです。その確信が次の節に記されています。

2. ゆだねた道は光のように輝かされる

  • 「主は、あなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる。」と約束しています(6節)。ここでの「義」とは主を信頼するかかわりを意味し、「さばき」(「ミシュパート」מִשְׁפָּט)とはそのかかわりを築くための判断や決定(決意)を意味していると考えます。その「義」と「さばき」に対して、主が光のように、あるいは真昼のように「輝かされる」とあります。それはやがて、明確に、目に見える祝福をもたらすことを意味しています。ちなみに、「輝かす」の動詞は預言的完了形です。つまり、必ずそうなることが約束されているのです。
  • それゆえ、「主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。」(7節)と呼びかけられています。自分の力で繁栄の道を歩んでいる(ように見える)者を目にしながら、主の前に静まること、耐え忍んで待つことは決して容易ではありません。多くの者が失敗するのです。それが旧約の神の民が経験した歴史です。

3. 「あなた」への呼びかけ

  • 詩篇37篇はすべて「あなた」(単数)に対する呼びかけです。なぜなら、命令形で呼びかけられている動詞は、すべて二人称単数だからです。4節では「あなたの心の願い」、5節では「あなたの道」、6節では「あなたの義」「あなたのさばき」とあるように、「あなた」への呼びかけがなされているのです。
  • ところが、その「あなた」への呼びかけはとても難しい命令なのです。主を信頼することはすばらしいことですが、それを貫くことはとても難しいのです。知恵の詩篇の背景には、主を信頼することに失敗した痛い経験があったことを忘れてはなりません。だとしても、私たちは主からの呼びかけを決してないがしろにしてはなりません。
  • 「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。」、「主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。」との呼びかけに、私たちは、日々、正しい判断と決断を迫られているのです。


2016.12.3


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