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詩篇37篇16~19節

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詩篇は、神と私たちの生きた関係を築く上での最高のテキストです。

5. 詩篇37篇16~19節

ベレーシート

  • 今回は、16~19節にある「ささえる」という動詞「サーマフ」(סָמַךְ)の概念を正しく理解したいと思います。

16 ひとりの正しい者の持つわずかなものは、
多くの悪者の豊かさにまさる。
17 なぜなら、悪者の腕は折られるが、
【主】は正しい者をささえられるからだ。

18 【主】は全き人の日々を知っておられ、
彼らのゆずりは永遠に残る。
19 彼らはわざわいのときにも恥を見ず、
ききんのときにも満ち足りよう。


●16節と17節はそれぞれの節に反意的パラレリズムを内包しながら、16節と17節で合成的パラレリズムを構成しています。
●18節と19節はそれぞれ同義的パラレリズムを内包しながら、18節と19節で合成的パラレリズムを構成しています。


1. 「ひとりの正しい者の持つわずかなもの」とは

  • 「ひとりの正しい者の持つわずかなものは、多くの悪者の豊かさにまさる」とあります。なにゆえに「まさる」のか。それを知るためには、悪者の豊かさの運命を知る必要があります。「悪者」とは、神を認めず、神に背く者たちです。その彼らが自分の力によって豊かなものを得たとしても、それははかないものだからです。なぜなら、主が彼らの腕を折られるからです。
  • 「腕」と訳された「ゼローア」(זְרוֹעַ)は、政治的・軍事的な力、あるいは技術革新なども含みます。しかし聖書の歴史が記しているように、そうした文明の力による自己防衛力はことごとく、神のさばき(洪水、言葉の混乱、国家の滅亡)によって折られています。ところが、それに反して「ひとりの正しい者の持つわずかなものは、多くの悪者の豊かさにまさる」のです。「正しい者の持つもの」とは、主への「信頼」です。「信頼」という一見わずかに思える事がすべてに勝るのです。その理由は、17節にあるように、「主は正しい者をささえられる」という現実です。「わずかな」とは量的に少ないという意味以上に、より希少価値のある事柄(「ただ一つのこと」、One Thing)を意味します。
  • イスラエルの歴史において、北と南の大国に挟まれた危機的な時代に、神だけを信頼するかどうかが問われました。神に信頼するよりも、南のエジプトの力を頼ろうとしたり、北のアッシリヤという力に頼ろうとした王がいました。その結果、国の土台は揺がされ、亡国の憂き目を見る羽目になったのでした。

2. 「サーマフ」(סָמַךְ)の概念

(1) 「サーマフ」のイメージは「手でつかむ」こと

  • 17節の主の「ささえ」は、「正しい者」(「ツァッディーク」צַדִּיק)、つまり主を信頼する者に現わされます。「ささえる」と訳された動詞は「サーマフ」(סָמַךְ)で、24節の「主がその手をささえておられるからだ」というフレーズの中にも使われています。この動詞は旧約で48回使われ、「神へのささげ物に手を置く」「養う」という意味がありますが、重要な概念は「手を置く」「手でしっかりと捕らえる、つかまえる」「取ろうとして手を伸ばす」ということです。「ささえる」という訳はやさしいイメージがありますが、むしろこの動詞のイメージは「つかむ」というイメージです。英語だと「グラスプ」(grasp)です。その主体は常に神にあります。つかむ側は神であり、つかまれる側は私たち人間です。

(2) 「サーマフ」(סָמַךְ)と「バータハ」(בָּטַח)

  • サーマフ」(סָמַךְ)の概念を正しく理解するためには、それと対比する「バータハ」(בָּטַח)を理解することです。この二つの動詞は、サーカスの空中ブランコにたとえるなら、「飛び手」には「バータハ」が必要であり、「受け手」には「サーマフ」が必要です。観客は空中ブランコのスターは飛び手だと思っていますが、本当のスターは「受け手」です。空中ブランコが成功するためには、飛び手は何も心配せず、すべてを受け手にまかせて飛び出すことだそうです。受け手が飛び手の手をしっかりと握ることができれば成功します。もし逆に飛び手が受け手の手を握ろうとすれば失敗すると言われます。受け手の方が飛び手の手をしっかりと捕まえるのです。つまり、「飛び手」は「受け手」を信頼し(「バータハ」בָּטַח)、「受け手」は「飛び手」の手をしっかりとささえる(「サーマフ」סָמַךְ)するのです。このように、「バータハ」と「サーマフ」には、密接な呼応関係があると言えます。

画像の説明

  • イザヤ書26章3節に「志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。」とあります。ここでの「堅固な者」とは「正しい者」と同義です。そうした者を主は「ささえられる」(しっかりと捕まえてくださる)のです。
  • ちなみに、同じ「ささえる」という訳語であったとしても原語が異なる場合があります。例えば、イェシュアが荒野でサタンの試みを受けた時、サタンはイェシュアを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に立たせて言いました。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる。』と書いてありますから。」と誘惑します。ここでの「ささえられる」という訳の原語は「サーマフ」ではなく、「上げる、持ち運ぶ」という意味の「ナーサー」(נָשָׂא)という動詞です。同じ訳でもその原語が異なります。意味する内容が違います。
  • 主を信頼する「堅固な者」に対して、主はどこまでもその者の手を捕らえてくださることによって、その者を神の子として養い続け、あらゆる危機的な状況においても堅く立たせてくださるのです。

2016.12.14


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