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詩篇37篇34~36節

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詩篇は、神と私たちの生きた関係を築く上での最高のテキストです。

9. 詩篇37篇34~36節

ベレーシート

  • 34節には命令と約束が記されています。聖書が啓示している神である主は宇宙を創造した神です。現代の科学の知識をもってしても、宇宙には人類の知られざる世界が無限にあります。同様に、神の永遠におけるご計画とそのみこころ、御旨と目的についても私たちの知らないことが多くあるのです。以下のみことばは、神の奥義をだれよりも多く知らされた使徒パウロが述べたものです。

【新改訳改訂第3版】ローマ人への手紙11章33~35節
33 ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。
34 なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。また、だれが主のご計画にあずかったのですか。
35 また、だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか。

  • 使徒パウロは、知り尽くしがたい神の知恵と知識の豊かさ、その支配統治(=さばき)の測り知りがたさにおいて、常に驚きを持っていました。その彼が、「神を知るための知恵と啓示の御霊が与えられるように」と自ら祈っただけでなく、同じく主にある者たちに対しても祈りことを勧めていました。
  • 聖書の神は私たちの理解をはるかに超えた方です。また、神のみことばも私たちが想像するレベルをはるかに越えた奥深い世界です。物事を秘密にするのは神の誉れです。それゆえ、それを捜し出して発見する者がいつの時代にも必要なのです。


1. 「待ち望め」という命令のイメージ

  • 今回の瞑想の範囲は、詩篇37篇34~36節です。

【新改訳改訂第3版】詩篇37篇34~36節
34
【主】を待ち望め。その道を守れ。
そうすれば、主はあなたを高く上げて、
地を受け継がせてくださる。
あなたは悪者が断ち切られるのを見よう。
35
私は悪者の横暴を見た。
彼は、おい茂る野生の木のようにはびこっていた。
36
だが、彼は過ぎ去った。見よ。彼はもういない。
私は彼を捜し求めたが見つからなかった。


●34節には命令のあとに約束が記されています。35~36節は、34節にある「悪者」(単数)の運命がいかにはかないものであるかを詳述しています。彼は「おい茂る野生の木のようにはびこっていた」にもかかわらず、彼は過ぎ去り、その存在の影すらないのです。そのことを通して、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めさせようとしています。なぜなら「見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(Ⅱコリント4:18)。

  • 「主を待ち望め」という命令の動詞は「カーヴァー」(קָוָה)です。ヘブル語には多くの待望用語がありますが(脚注)、この動詞のイメージは、「神の約束の実現を、集中しながら待ち望む」ということです。「カーヴァー」(קָוָה)の初出箇所は創世記1章9節ですが、そこには、神が「天の下の水が一所に集まれ」と語っています。ここでの「集まれ」は命令形ではなく、そうであるようにという意味の未完了形受動態で使われています。基本的な意味は「一つ所に集める」です。つまり、神のご計画の最終目的は、神の御子イェシュアにあって「いっさいのものが一つに集められること」です(エペソ1:10)。つまり、その実現を待ち望むことが、「カーヴァー」(קָוָה)が意味する待望のニュアンスではないかと考えます。主のご計画とその目的が「一つに集められる」ことであるるならば、そのことを待ち望む者の心にも集中することが求められると信じます。

2. 「主の道を守れ」というイメージ

  • 「主を待ち望め」に続いて、「その道を守れ」とあります。「主の道を守れ」とは、「主が命じられた道を歩め」とも言い換えられます。
  • 聖書においては、「道」は二つの道しかありません。つまり、「主の道を歩む」か「悪の道を歩む」かの二つだけで、それ以外の道はありません。道は旅でもあります。ですから、目指すべき到達点があると同時に、そこへ至るためのさまざまな教えが含まれています。「トーラー」(モーセ五書)には、主が命じられた道(「デレフ」דֶּרֶךְ)を歩むことが記されています。主の道とは、「救いの道」であり「いのちへの道」です。
  • 旧約においては、荒野の旅の中で語られたさまざまな教え(モーセ五書)があります。また、バビロン捕囚経験を通して教えられた「知恵」があります。新約に生きるキリスト者には、イェシュアが語られたトーラー(おしえ)があります。それを正しく理解して、信じて従うことが重要です。「主の道を守る」ことは、やがて実現するメシア王国においても重要なのです。

【新改訳改訂第3版】イザヤ書2章2~3節
2 終わりの日に、【主】の家の山は、山々の頂に堅く立ち、丘々よりもそびえ立ち、すべての国々がそこに流れて来る。
3 多くの民が来て言う。「さあ、【主】の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。私たちはその小道を歩もう。」それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから【主】のことばが出るからだ。


3. 「地を受け継ぐ」という約束のイメージ

(1) 「地を受け継がせる」という約束

  • 「地を受け継ぐ」とは、神の約束が実現して、その約束を得ることを意味します。神の約束はすべて地上において実現されるのです。イェシュアが弟子たちに教えた祈りの中に、「御国が来ますように」「みこころが・・地でも行われますように」があります。ここで重要なことは、天の御国は地上において、神のみこころは地上において実現・成就するということです。「地を受け継ぐ」とは、神の約束が地上において実現することを意味しているのです。
  • 信仰の父と言われるアブラハムが、地上での旅において、どこに目を向けていたでしょうか。ヘブル書の著者は「彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいた」(11:10)と記しています。その都とは「神が設計し建設された都」であり、「天の故郷」とも呼ばれます。アブラハムの信仰を継承した人々はこの「天の故郷にあこがれていた」(ヘブル11:16)のです。「あこがれる」というギリシア語は「オレゴマイ」(ὀρέγομαι)で、新約聖書には3回しか使われていませんが、いずれも中態で使われます。つまり、主体的・自発的な切望を意味しています。
  • 「堅い基礎の上に建てられた都」「天の故郷」は、「揺り動かされない御国」とも言い換えられます(ヘブル12:28)。「終わりの日」に向かうこれからの時代において、そのすばらしさを語る者たちが多く起こされてくると信じます。そのためには、御霊の啓示が必要です。宇宙にあるいまだ知られていない多くのなぞや神秘を日々探究し続けている研究者たちがいるように、信仰の世界においても、神が設計され建設された都の奥義を語る者たちがこれから数多く起こされなければなりません。「主を待ち望め。その道を守れ。」との命令には、「天の故郷にあこがれる」者たちを主が呼び起こそうとすることばにも聞こえてきます。

(2) 「主はあなたを高く上げる」という約束

  • 「主はあなたを高く上げる」という約束は、主のご計画とその目的が実現することに集中する者に、つまり「主を待ち望み、その道を守る」者に約束されています。ところで、「あなたを高く上げる」とはどういう意味でしょうか。
  • 「高く上げる」と訳されたヘブル語は「ルーム」(רוּם)です。この動詞の基本的な意味は、ある者を高い位置に置くことを意味します。この動詞が神に対して使われる場合には、「いと高き神」とあるように神の至高性を表わし、また「あがめる」という意味になります。
  • しかしこの語が人に対して使われる場合には、「たかぶる」という悪い意味にもなりますが、良い意味では「育てる」「(神の家)を建て上げる」といった意味でも使われます。高い位置に置かれるということは、物事をより鳥瞰的に観る場所に置かれることを意味します。それは、神がなさろうとするご計画や目的がより全体的に、しかも明確に見えることを意味します。つまり「主はあなたを高く上げ」とは、神のことにより集中できるように、鳥瞰的な視点が与えられることを意味するとも考えられます。
  • 使徒パウロはキリストにあって新しくされた者たちに対して、「人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。」と語りましたが(エペソ4:29)、ここでの「人の徳を養う」という言葉(名詞の「オイコドメー」οἰκοδομή)が「建て上げ」という意味を持っています。ヘブル語の「ルーム」(רוּם)にもそうした意味があるようです。そのような者が、次世代に多く起こされるように、主に祈りたいと思います。


脚注

(1)「ヤーハル」(יָחַל)
期待する、望みを抱く、望む、待ち望む、待ちわびる、待つ
31:24/33:18, 22/38:15/42:5/69:3/71:14/119:43, 49, 147/130:5, 7/147:11
(2)「ハーカー」(חָכָה)
待ち望む、望む、待つ 
33:20 イザヤ30:18
(3)「サーヴァル」(שָׂבַר)
期待する、望む、待ち望む
104:27/119:166/145:15
(4)「ツァーファー」(צָפָה)
仰ぎ見る、うかがう、望み見る、待ち構える、見張る
5:3
(5)「フール」(חוּל) 
忍耐しながら、耐え忍びながら、待ち焦がれながら主を待つ
37:7
(6)「カーヴァー」(קָוָה)
信頼し
25:3/27:14/37:9,34/40:1/69:6/130:5


●ちなみに、37篇9節、34節で使われている「待ち望む」は、「カーヴァー」(קָוָה)です。また、7節は「フール」(חוּל)です。


2016.12.24


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