詩篇91篇に見るメシア
詩篇は、神と私たちの生きた関係を築く上での最高のテキストです。
13. 詩篇91篇に見るメシア
ベレーシート
- 詩篇91篇は実に不思議な詩篇です。というのは、主格(主語となるもの)である三者が入れ替わり、人称なき存在(御霊)は「御父と御子の麗しいかかわり」について語り、また、「御父と御子との対話」が記されているからです。
箇所 主格 内容 1節 人称なき存在 御父(=いと高き方)と御子(=いと高き方の隠れ場に住む者)のかかわりについて 2節 御子(=私) 御父(=主)に対する告白 3~13節 人称なき存在 御父(=主)と御子(=あなた)のかかわりについて 14~16節 御父(=わたし) 御子(=彼)に対する約束
- 三位一体なる神の対話においては、「人称なき存在」(御霊)が主格になることはあっても、対話の対象になることはないということです。
- 詩篇91篇がなにゆえにメシア詩篇であるかと言えば、人称なき存在(御霊)が御子に対して語っている部分の中にある11節と12節が、マタイの福音書4章6節に、また、ルカの福音書4章10, 11節に引用されているからです。ただし、これを引用したのはサタンです。
- これは、サタンも聖書のことばを用いるということの例証です。使徒パウロは「サタンさえ光の御使いに変装するのです」(Ⅱコリント11:14)と述べ、また「サタンの手下どもが義のしもべに変装したとしても、格別なことはありません」(同、11:15)と述べています。しかし、サタンは自分に都合の悪い箇所は決して引用しないのです。詩篇91篇の11節と12節のことばを用いてイェシュアを誘惑しようとしましたが、13節にある「あなたは獅子とコブラとを踏みつけ、若獅子と蛇とを踏みにじろう」という部分は引用しないのです。このことから、みことばをコンテキスト(文脈)から切り離して用いることの危険を教えられます。
1. メシア(御子イェシュア)の生涯における御父の絶対的な守りの保障
- メシア・イェシュアの生涯には常に御霊が寄り添っていました。それゆえ、御子は御父の絶対的な守りの中にあることを知っておられました。御霊が御子に次のように語りつづけていたのです。
【新改訳改訂第3版】詩篇91篇11~12節
11 まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。
12 彼らは、その手で、あなたをささえ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにする。
●ここには御父が御使いたちに命じて、御子の歩むすべての道において守っていおられることが語られています。その「守り」(「シャーマル」שָׁמַר)とは、御使いたちの手によって御子の前に置かれるさまざまな危機的状況から御子を運ぶ(「ナーサー」נָשָׂא)ことで、御子が危機を免れるということです。
- その一つのエピソードが以下の通りです。
御霊に「引き回されて」の40日間の荒野での試みとサタンの誘惑に勝利されたイェシュアは、彼に寄り添っている御霊のサポートによって、御父の絶対的な守りの保障の中で公生涯に入られました。ルカは、イェシュアが育ったナザレにおいて起こった公生涯の最初の出来事を記しています。この記事はルカ独自のものです。4章16~30節の箇所を読んで受ける素朴な感想は、ナザレの人々のイェシュアに対する反応が、前半と後半では全く逆になっているということです。22節では「みなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いた」とあるのに対して、28節では「これらのことを聞くと、会堂にいた人たちはみな、ひどく怒り、・・イエスを町の外に追い出し、・・がけのふちまで連れて行き、そこから投げ落とそうとした」とあります。「ほめ驚いていた人々」が、みな「ひどく怒り、がけから投げ落とそうとする」ということは意外な展開です。イェシュアの何が人々にそうまでさせたのでしょうか。それについては こちらを参照のこと。
- 注目したい点は、人々がイェシュアを町から追い出すだけでなく、がけから投げ落とそうとした時、イェシュアは「彼らの真ん中中を通り抜けて、行ってしまわれた。」(4:30)と記されているところです。実に不思議な展開だと思いますが、詩篇91篇11~12節にあるように、イェシュアがこのとき御使いたちの手によって「運ばれた」のだとしたら、納得できる話です。
- また、この話のほかにも、イェシュアに対する殺害の陰謀が起こりましたが、神の時が来るまで、敵の陰謀が全く実現しなかったことからも、イェシュアが御父の絶対的な守りの保障の中を歩まれたことが分かります。これはイェシュアを信じる者に対しても約束されている守りです。神の子どもとされた者の中には、御使いたちの手によって救い出された経験があることをしばしば聞くことがあります。私が初めて行った教会のK牧師は、二度も死に目に遭ったにもかかわらず、そこから助け出されたことを話しておられました。それは御使いたちによってその窮地から「運ばれた」からではないでしょうか。「運ばれた」本人もそのことを知らずにいることがあるのです。
2. サタンが引用しなかったみことばの成就
- 詩篇91篇13節はサタンが引用しなかった部分ですが、それがイェシュアによって実現されます。
【新改訳改訂第3版】詩篇91篇13節
あなたは、獅子とコブラとを踏みつけ、若獅子と蛇とを踏みにじろう。
●これは創世記3章15節に預言されていることです。そこには次のように記されています。
【新改訳改訂第3版】
わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」●ここにある「女の子孫」は単数男性形であり、メシアについて言及されている箇所で、へび(サタン)の頭を踏み砕くのです。サタンは荒野での誘惑に完敗しただけでなく、イェシュアの十字架と復活の出来事によって、サタンの頭は砕かれました。つまりイェシュアは、死と復活によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださったのです。
●使徒パウロはイェシュアにつながる人々に次のように述べています。
【新改訳改訂第3版】ローマ人への手紙16章20節
平和の神は、すみやかに、あなたがたの足(の下)でサタンを踏み砕いてくださいます。どうか、私たちの主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。
2016.8.16
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