****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

Ps1の「かかわりの構造」

Ps1

「詩篇の瞑想」の新たな視点

  • これまでの瞑想の方法はひとつの詩篇からキーワードを選んで、そこにあることばやテーマについて思いめぐらすということをしてきましたが、そうした瞑想法の弱点は自分中心的なことに終始しやすいということを感じています。
  • 旧約における「主の家に住む」というテーマの新約的表現は、「キリストのうちにとどまる」ということです。「キリストのうちにとどまる」とは、「とどまる」ことを実践した既存のモデルがあります。それは御子が御父にとどまり、御父が御子にとどまり、また御霊も御子にとどまるという三位一体の神のうちにある愛と信頼のかかわりです。しかし、その三位一体なる神の交わりをどのようにイメージし、いかにそのかかわりを深く知り、それに学び、その中に生きるか、その瞑想の訓練として詩篇はまさに絶好のテキストなのです。
  • 「永遠のいのちとは、唯一のまことの神である御父と、御父が遣わされた御子イエス・キリストを知ることです。」(ヨハネ17:3)。ここの「知る」とは、頭で知るということではなく、その愛のかかわりを学び、それを体験することを意味します。主イエスは「聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書 (旧約聖書のこと)を調べています。その聖書がわたしについて証言している」(ヨハネ5:43)と言われましたが、この「わたし」には、御父と御霊が深くかかわっておられます。御子はその生涯において御父を現わされましたが、それを助けるために御霊が御子に寄り添うようにしてとどまっておられました(ヨハネ1:32/4:34)。詩篇は、そうした三位一体の神のかかわりを私たちが知るための最高のテキストなのです。
  • そこで、詩篇の1篇を取り上げてそこに三位一体のすばらしい交わりがどのようにあかしされているかを見てみましょう。

    Ps1b

  • この詩篇の登場人物は「主」と「主のみおしえを喜びとし、昼も夜もそれを口ずさむ人」、そしてそのかかわりを「幸いなことよ」と語っている「作者」が登場します。このかかわりを詩篇の中に発見することが重要です。
  • 詩1篇に登場する「主」、「その人」、「人称なき存在」をそれぞれ「御父」、「御子」、「御霊」として見なすとき、 そこには神のゆるぎない愛の麗しい交わりが存在しています。
  • この麗しい交わりは永遠の愛と信頼です。私たちはその神の交わりの中に招かれているのです。そこにいつも私たちがとどまるとき、多くの実を結ぶことができるだけでなく、そこから神の尽きることのないいのちが溢れ、「瞑想から宣教へ」というあらたな道が開かれてきます。その原初的模範こそ、御父・御子・御霊なる三位一体なる神ご自身なのです。人となられた御子は単独では存在しません。それゆえ、「キリストのうちにとどまる」とは三位一体の神の中にとどまることを意味し、多くの実が結実する奥義なのです。

2010.11.18

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