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恩寵用語Ps61

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詩61篇「導く」 נָחָה ナーハー

〔カテゴリー賦与〕

2b節「どうか、私の及びがたいほど高い岩の上に、私を導いてください。」

Keyword; 「導く」 lead, guide, 5:8/23:3/27:11/31:3/43:3/60:9/61:2/67:4/73:24/77:20/78:14, 53, 72/107:30/108:10/139:10, 24/143:10

  • 「導いてください」と嘆願している「導く」というナーハー(נָחָה)は詩篇特愛用語の一つです。旧約で39回、そのうち18回が詩篇で用いられています。その多くは「導いてください」という嘆願の祈りの中で使われていますが、23篇3節、および、詩78篇14節と53節には、2度、肯定的に神の恩寵としての導きが述べられています。
  • 私たちは、日毎に、神の導きを経験しているかどうか、神が自分の生涯に備えられた道を歩みそこなっていないかどうかを点検する必要があります。なぜなら、「主は、…御名のために、私を義の道に導かれます。」(23:3)とあるとおり、主の導きは神の子どもに与えられた特権であり、実り多い生涯を送れるようにと神が愛のうちに備えてくださったものだからです。「御名のために」とは、「神ご自身が、ご自分の名にかけて」という強い責任を表わすことばです。
  • また、イザヤ58:11には「主は常にあなたを導き」とあります。「常に」とは「継続的に」と言う意味です。私たちが意識してもしなくても、神の導きは継続的です。父である神は、本質的に与えることを喜びとする神であり、子である私たちの益のために、つまり、ご自分のきよさにあずからせようとして懲らしめることをする方です (ヘブル12:10)。大切なことは、神ご自身が私たちを導きたいと切に望んでおられるということです。
  • 詩61篇では、まさにダビデが「心が衰え果てた」(2節)危機的な状況の中で、「どうか、私の及びがたい高い岩の上に、私を導いてください」と神の導きを求めて祈っています。「及びがたいほど高い岩の上」とは、ある確かな地位と立場を意味します。つまり支配、力、権威、権力、主権が与えられる地位と立場です。この地位と立場を一度失えば、復権は困難です。しかしダビデはこの状況の中から、いわばあり得ない復権への導きを祈っているのです。
  • 聖書の中には、感動的な神の導きの実例があふれています。しかしそれは決して特別なことではなく、正常なこと、当然のことなのです。私たちが神の子どもとしてふさわしく整えられていくためのあらゆる導き、霊的な成長、選択、決断、経済やセキュリティも含めた日々の生活のすべてにおいて神は当然のごとく導いておられます。それは神の子どもに対する御父の愛なのです。
  • ナーハー(נָחָה)の類義語にナーハグ(נָהַג)があります。ほとんど同義語で神の先取的行為としての「導き」を意味しています。ナーハグ(נָהַג)は旧約で30回、詩篇には4回だけ使われています。48:14/78:26, 52/80:1/を参照。特に詩78篇でこれらの二つのことばが使われているのはとても興味深いところです。
    詩78篇の恩寵用語

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