恩寵用語Ps91
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詩91篇 「おおう」 סָכַךְサーハフ
〔カテゴリー愛顧〕
4節「主は、ご自分の羽であなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける」(新改訳)
4節「おのが羽でかれはあなたをかばい、・・・」(岩波訳)
Keyword;「覆う」 cover, overshadowing, spread, 5:11/91:4/140:7
- 4節で「おおわれる」と訳された「サーハフ」(סָכַךְ)は、旧約で18回、詩篇では3回しか使われていない動詞です。ヘブル語にはもうひとつ罪をおおう、失敗や過ちを覆って下さるという意味の恩寵動詞「カーサー」(כָּסָה)があります(詩32篇参照)が、「カーサー」の使用頻度は旧約で152回、詩篇では17回と「サーハフ」に比べると圧倒的に多いのです。使用頻度の少ない「サーハフ」(סָכַךְ)ですが、実はとても重要な意味合いをもっています。
- 「サーハフ」がはじめて聖書に登場するのは出エジプト記25章20節です。ここには幕屋についてに語られていますが、特に、幕屋の至聖所における契約の箱についての言及の中で、ケルビムが互いに向き合って、その翼で「贖いのふた」をおおうようにしなければならないとしるされています。この「サーハフ」(סָכַךְ)が契約の箱と関連して使われている箇所は6回(出25:20/37:0/40:3, 21/Ⅰ列王8:7/Ⅰ歴代28:18)あります。翼をもったケルビムの像は、幕屋の垂れ幕にも織りなされ、やがで神殿では壁や扉にも刻まれたようです(Ⅱ歴代3:7)。
- 契約の箱の「贖いのふた」の両端に互いに向かい合うように置かれた純金製のケルビムは、年一度大祭司のみが至聖所に入って「贖いのふた」の部分に血を注ぎますが、その血が見れるように配置されています。また、その翼の間から神はモーセと会見し(モーセの場合は出入り自由)、語られました。そこはまたシェキナー(神の臨在を現わす栄光の雲が現われる場所)でした。
- 詩91篇4節の主は、ご自分の羽であなたを「おおわれる」というところに、ケルビムがその翼で「覆う」という言葉が使われているのは、この詩91篇全体を意味づけるものではないかと思います。つまり、この詩篇は「守りの詩篇」と言われますが、単なる「守り」という意味だけではなく、そこに血が注がれて神と神の民がモーセや大祭司アロンを仲介として交わりを持つことができたように、キリストと一つにされた私たちもそのところで、神との親密な愛の交わりをできるようにして下さっているということです。しかもケルビムの翼を広げたところに神の栄光の雲が現わされたように、キリストにある私たちも神の臨在にあずかることができる、それが詩91篇4節の「主は、ご自分の羽であなたをおおわれる」という究極の目的だと信じます。
- その証拠に14~16節には「彼は、わたしを愛しているから、助け出そう。知っているから高くあげよう。呼び求めているから、答えよう。」という神と人とのかかわりが成立しているのです。神の臨在(シェキナー)の場としての主の羽の覆いがあることを心から感謝したい。