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瞑想Ps91/B

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瞑想Ps91/B

  • この詩篇は「守りの詩篇」と言われていますが、しかしながら、その守りの祝福は作者が神との親しい交わりへと召され、それを自覚的に選び取ったことによる結果であると私は思います。 1節は神とのかかわりを次のように表現しています。「いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る」(新改訳)と。
  • 神との密度の濃い霊的な交わりの場、その場こそ信仰者のいるべきところです。限られた人生を、自覚的に、一刻でも長く主と親しい交わりを持つということは、最高の恵みであり、特権です。そしてそこから、永遠に意味のある、最も生命的な活動が生まれてきます。主イエスご自身が父の陰に宿り、隠れ場をもっておられました。神の栄光はいつもそこから輝きだしたのです。御子イエスが地上において見せて下ったそのかかわりこそ、詩91篇1節が示すものだと信じます。イエス・キリストこそ私たちの信仰の創始者であり、完成者です。
  • 自覚的な選択によって「いと高き方を住まいとした」者に与えられる神の祝福が14節以降に、次のように記されています。

    ①「彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。」(14節)
    ここでの「愛する」とは「すがりついて離れない」という意味です。人の目も何も気にせず、 一途に神を愛する、そのような者を主は決して黙っていません。必ず助けてくださるのです。

    ②「彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。」
    「知る」とは、愛の一体感とでも言うべき関係です。神の愛と配慮が自分に向けられていることを体験で知っているということです。そのような者を倒すことはだれもできません。

    ③「彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。」

    • a. 「わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。」
    • b. 「わたしは、彼を長いいのちで満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。」 
  • このような祝福の中に生かされる者でありたいと願います。

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