****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

Ps91の「かかわりの構造」

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  • サタンはこの詩篇91篇11〜12節のことばを用いて御子イエスを誘惑しようとしました。つまり、サタンはこの詩篇が御子について語っていることを知っていたということです。とすれば、私たちも当然このこの詩篇をまず御子イエスに当てはめて読まなければなりません。
  • しかし、その前の手順として、この詩篇の人称について整理しておく必要があります。2節を新改訳のように、「私」という存在が神に向って信仰告白していると受け取るか、新共同訳やフランシスコ会訳のように、命令形として「・・宿る人よ、主に申し上げよ」と受け取るかで、人称の数は変わってきますが、前者の場合は三つ、つまり「人称なき存在」、「私」という存在、そして「わたし」という存在の三つが語っていることになります。後者の場合では「私」という存在がなくなって、「人称なき存在」と「わたし」という存在が、1節にある「いと高き方」である方とその隠れ場に住む者」とのかかわりについて語っています。

Ps91a

  • 1節にある「いと高き方」あるいは「全能者」である方と「その隠れ場に住む者」あるいは「その陰に宿る者」とのかかわりについて、如何に親密であるか、そのすばらしさが語られている詩篇です。
  • 「いと高き方」「全能者」を御父とすれば、その隠れ場と陰に住み、宿る者は御子ということになります。御父と御子とのゆるぎない信頼を支えているのは御霊です。御霊こそ御父と御子の親密な愛のかかわりを築く助け主です。私たちは、御子につながり、御子のうちにとどまることにって、この詩篇91篇の祝福にあずかることができるのです。

    Ps91b

  • 私たちは常に御父に信頼してとどまり続けた御子に注目すべきです。なぜなら、この方こそ私たちの信仰の創始者であり、完成者だからです。

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