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瞑想Ps34/D

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瞑想Ps34/D

詩篇34篇の18節を味わいます。

(新改訳)
主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、
たましいの砕かれた者を救われる。


(関根訳)
ヤハウェは心砕かれた者に近く
その霊の悔いくずおれた者を救われる。

  • この節は同義的並行法です。「心の打ち砕かれた者」と「たましいの砕かれた者」、そして「(主が)近くにおられる」ことは「救われる」ことは同義です。この詩篇では具体的に、なぜ、誰によって、どのように打ち砕かれたのかは何もしるされていません。ただ、主は「心の打ち砕かれた者の近くにおられ、たましいの砕かれた者を救われる」という恩寵を記しています。ちなみに、「心の打ち砕かれた者」も「たましいの砕かれた者」も、原文では複数形です。
  • ところで、前者の「打ち砕かれる」と訳された「シャーヴァル」שָׁבַר(shavar)は、壊す、押しつぶす、破れる、粉砕するという意味です。岩波訳では「心の破れた者たち」と訳しています。34:20でも「シャーヴァル」が使われています。「主は、彼の骨をことごとく守り、その一つさえ砕かれることはない」に使われています。しかし、34:18ではブロークンハート(brokenhearted)の意味で使われています。詩篇147:3には「主は心の打ち砕かれた者をいやし、彼らの傷を包む」とあります。イザヤ61:1では「心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣われた。」とあります。ブロークンハートとは、自分の愛する対象(人やモノなど)を喪失したときの心です。愛する夫、妻、子ども、友人、恩師、恋人等。あるいは、お金、仕事、地位など、自分のすべてをかけて築いてきた対象を喪失したときの心の喪失感を意味します。心が張り裂けるような状態です。
  • 主はそのような「心の打ち砕かれた者」の「近くにおられる」というのです。「近くに」ということば、距離的に「近く」(near)あるという意味だけでなく、かかわりにおいて「近く」(close)ある、つまり、「親密で」「親しく」あってくださるという意味です。
  • 神以外のもの、たとえそれが尊いものであったとしても、私たちがそれに深く依存するなら、そのかかわりはやがては幻想に終わる運命にあります。それを経験した者が「心の打ち砕かれた者」であり、そのような者こそ、神は近いと言えます。決して喪失することのない、幻想に終わることのない親しい存在が私にかかわってくださっているということへの目覚めこそ、私たちにとって救いとなります。
  • 後者の「砕かれた」(形容詞)と訳された「ダーッカー」דָּכָּא(dakka’)は旧約で3回。詩篇ではここにだけ見られることばです。類似的な用語として、動詞の「ダーハー」דָּכָה(dakhah)があります。意味としては「ダーッカー」דָּכָּא(daka’)と同じです。英語ではクラッシュ(crush)と訳されます。押しつぶす、粉砕する、もみくち、しわくちゃにするという意味で、完全な無力感を表わす用語です。しかし主はそのような者を救われます。イザヤ57:15では「わたしは聖なる所に住み、心砕かれ、へりくだった人とともに住む」とあります。「ともに住む」ことが「救い」なのです。
  • 以上のように、主は「心の打ち砕かれた(brokenhearted)者たち」の近くに、親しく(close)おられ、「たましいの砕かれた者たち」と共に住んでくださることにより、その者たちを「救われる」ということです。人生において大切なものを喪失した「心の打ち砕かれた者たち」にとって、あるいは、人生の失敗を経験して完全な無力感を味わった「たましいの砕かれた者たち」にとって、この18節のことばに示される主の恩寵は、彼らをして再び立たせることのできる実に恵み深いみことばです。

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