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瞑想Ps77/A

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瞑想Ps77/A

  • この詩77篇のキー・ワードを1節の「神は聞かれる」としたいと思います。なぜなら、「神は聞かれる」とはどういうことか、新共同訳聖書では「神はわたしに耳を傾けてくださいます」と訳されていますが、神は私の叫び、私の声に耳を傾けて聞いてくださるということだけで自分を変えられた経験を述べているからです。
  • この詩篇は前半(1~12節)と後半(13~20節)にはっきりと分かれています。前半では「私」ということばが頻繁に登場し、自分の思い中でさまざまなことが交錯しています。しかし後半では「私」という視点が姿を消して、「あなたは」「あなたの」というふうに、視点が「神」に移されています。
  • この詩77篇は実に瞑想用語の宝庫です。新改訳では「思い返す」「思いを潜める」「思い起こす」「思い巡らす」「静かに考える」とあり、他の聖書の訳も参照すると、「思う」「深く思う」「思い続ける」、remember, meditate, think, consider といった言葉が目立ちます。なにゆえ作者はこれほどに瞑想する必要があったのでしょうか。また、作者が瞑想によって得たものは何だったのでしょうか。
  • 作者は「今」、とてもつらい思いの中にいることがわかります。おそらく、歴史的にはバビロンでの捕囚の中にあったと考えられます。出口のない状況の中で、作者は自分の魂に向かって問いかけています。「主は、いつまでも拒まれるのだろうか。もう決して愛してくださらないのだろうか。主の恵みは永久に絶たれたのだろうか。約束は・・果たされないのだろうか。神はいつくしみを忘れたのだろうか。」と自問自答しながら、思いはますます悲観的になっていきます。そして作者の出した結論はこうでした。「私が弱いのは、いと高き方の右の手が変わったことによる」(10節)のだと。
  • 「私が弱いのは、いと高き方の右の手が変わったことによる」というのはどういうことでしょうか。LB訳では、「これが運命なのだ。神様の祝福はのろいに変わった」と訳されています。これは作者の偽らざる実感だと思います。ではこの実感に作者は納得しているかと言えば、決して納得していません。むしろそこから深い瞑想へと入っていくのです。I will remember です。実感を受容してそこでとどまるか、さらに積極的な方向に進むかの分かれ目です。行きつ戻りつを繰り返しながら、神が歴史の中でなさってきたみわざを、再び、静かに考えようとしたのです。I will meditate その瞑想の結果、作者の心は「私」から「神」へと変って行きます。
  • ここで作者が発見したことは、神のなさることは分からないが、神は最善をなしてくださるという確信でした。
    「神よ。あなたの道は聖です。」(13節) 
    「あなたの道は海の中にあり、あなたの小道は大水の中にありました。それで、あなたの足跡を見た者はありません。」(19節) 
  • 神の道は海の底に敷かれている。そんなところに道があろうとはだれひとり知るよしもない。しかし、その道は確かにあった。神の民がエジプトを脱出した後、追ってくるエジプト軍を尻目に、前途に立ちはだかったのは紅海でした。しかしその紅海が真っ二つに分かれて道が開かれたことを作者は思い起こしました。まだ作者の抱えている問題は解決していません。神の声も聞こえません。しかし、問題が解決していなくても、神の声が聞こえずとも、またいろいろなことが理解できなくても、神が備えておられる道があるということを瞑想の中で確信できたのです。そこに希望があります。まさに神の道は人のそれとは全く次元を異にする道、つまり「聖」なのです。預言者イザヤは神の「聖」を次のように言っています。
  • 「わたしの思いは、あなたがたの思いとは異なり、私の道は、あなたがたの道とは異なるからだ。-主の御告げ。ー天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」(イザヤ55章8~9節)
  • 「神が聞かれる」とは、必ずしも、私たちの祈りー嘆願ーが聞かれたということを意味しません。瞑想の中で、神がどのようなお方であるかということを認識させてくださったことを、ここでは「神は聞かれる」と表現しているのではないかと思います。作者は、神の道は「聖」であり、その道は海の中にあって見えないけれども、必ずその中にあるということ、私の計画や思いどおりにはいかなくとも、神は私たちの思いや考えをはるかに越えて、いつくしみを施してくださる方であり、これまでも神は「ご自分の民を、モーセやアロンの手によって、羊のように導かれた」ではないか。そのことを作者は思い出し、そして確信したのでした。
  • カウンセリングの領域で「傾聴」ということばがあります。相手の言うことに一切コメントすることなく、じっと耳を傾けていくうちに、相手が次第に問題の解決を自分で見出させることです。神が作者の声にじっと耳を傾けてくださったことで、作者自らが出口を見出すことができたのです。これは作者にとって、自分の話をじっくりと聞いてくださったという意味で「神は聞かれる」と表現したのだと思います。
  • 「瞑想用語」に満ちているこの詩篇は、自分の心から神に視点を向けて光を見出すという意味で、瞑想することの大切さを教えてくれる一篇です。

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